左エクボのスターへの追悼のようなもの

高校の時に隣のクラスにいた男の子が世界的な超有名人になった。

その子が先日、突然スキーの事故で亡くなった。

もちろん、私も世界中の人と同じようにニュースでそのことを知った。

高校の時だって顔を知ってるだけだったし、言葉を交わしたことすらなかった。恐らく向こうは私の存在すら知らないだろうというくらいの人だ。

彼は高校の時は俳優業もほぼまだしてなかったはずだ。卒業後はクラスの子たちともほんの数人を残してだんだんと疎遠になり、それからさらに数年経ったらもう顔も名前も思い出せないような人たちばかりになっていた。

そんな折にふとテレビで彼を見かけた。ほんとに驚いた。名前もスラスラと出てきた。

それから気が付いたら彼はアメリカ映画に出演したり、どんどんとスターの道を駆け上がっていった。

この人ね、私の高校にいたよ、なんていうと、えー?すごーい、と何がすごいかよくわからないけど、こんなに普通なら手が届かず、すれ違うことすらないような人と一瞬でも同じ空間にいたという珍しさが変な付加価値となるのだろうか。とにかくそれくらい驚かれるくらい、有名人になっていた。

バス停に貼ってあった大きなCHANELの香水のポスター。そこには洗練され、この世のものとは思えないような雰囲気の彼の顔があって驚いたこともある。

私の高校はパリではありがちの、校庭もない高校だった。道に並ぶ建物の一つが校舎だった。高校の入り口の前は歩道がわずかに広くなっていて、道路との間には腰までの高さの茶色い柵が設置されていて、授業の合間に集まって話したり(集団に紛れてタバコを吸ったり)、授業が終わって帰りがけに友達と言葉を交わす子たちでいつもわさわさしていた。

あるとてもよく晴れていた日。茶色い柵には色とりどりのバッグを背負った高校生たちが思い思いにもたりかかり、戯れあっていた。私は帰りがけだったんだろうか、あるいは家でお昼を済ませてからまた学校に戻ってきた時だったのだろうか。そこはよく覚えていないが、とにかくよく晴れていた日だった。太陽の光がそこにいた高校生たちの群れを温かく照らしていた。

その真ん中に彼はいた。金色の髪をゆるくまとめた女の子と会話を交わしていた。あるいは相手の話をニコニコしながらただ聞いている、むしろそんな感じだった。

明るい光がその明るい金髪をより一層金色にさせていた。その頃流行っていたのか、後ろの首の上あたりの少し伸びた髪を狼の立て髪のように逆立て、固めていた。左の頬にあるエクボがくっきりと見えて、少し垂れ下がった目尻にはどこか一匹狼のような、寂しさと一種の冷静さを宿していた。談笑、というよりか、周りにいる子たちの様子をゆったりと眺めて笑顔を浮かべていた彼は何かの絵から一人だけ抜け出てきたような、そこだけ別の世界の雰囲気が漂っていた。あ、とてもあの子は大人なんだ。つまんないのかな。と思ったことを覚えている。

ただそれだけだ。むしろ彼といえばこのワンシーンしか覚えてない。校舎内にいる彼とか、廊下ですれ違ったりもしているはずだが、そのことは遠い記憶の中を探ってみてももう出てこない。でもこの瞬間のことだけは、まるで映画のワンシーンのように、その後もふと思い出すことがあったのだ。

こうしてこの世から突然、一度でもすれ違った人がいなくなってしまった。同年代の人が亡くなるのは、死に特有の、なんだかとんでもなく取り返しのつかない感じがより強い。その気持ちはどこにやったらいいのかわからなくなる。

亡くなったというニュースがあってから、メディアやSNSには彼の多くの写真が溢れている。あらゆる角度からの、様々な表情を捉えた写真。スターっていうのはこんなにも写真を撮るもんなのか、と変に感心してしまうくらい、いろんな写真。

私の記憶の中だけにある高校生の彼は大人びた妖精のようだった。まだスターではない、少し大人びた高校生。でももしかしたら彼はどこかで自分の華やかなその後を、もうすでにゆっくりと理解し始めていたのかもしれないな、とふと思った。

彼の映画をちゃんと観たわけでもない。ほとんど知らない人だけど、でもあの日、あそこで見かけた時のことを実感として体が記憶しているからか、彼の死の報道のインパクトは次の日になっても薄れることがなく、何か奥深いところで疼いていた。

だから映画俳優としての君へというわけではなくて、ただただ同じ高校の隣のクラスにいた一個人として、ささやかな思い出を文章にすることで、追悼としたい。

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