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役に立たなきゃ胸張って生きてはいけませんか? 〜「ナイト・ドクター」9話雑感〜

ドラマ「ナイト・ドクター」をなんだかんだブツブツ言いながら観ています。田中圭演じる成瀬先生見たさに毎週ブツブツ言いながらも観てしまう私をどうか許して……。

フジテレビで毎週月曜よる9時放送中のドラマ「ナイト・ドクター」。夜間救急専門医として奮闘する5人の医師の青春群像劇。出演は波瑠、田中圭、岸優太、岡崎紗絵、北村匠海など。

そして昨日放送された9話。どうしてもブツブツ言いたい。だって今日は8月31日なんだもの。

誰かの役に立たなきゃ、胸張って生きてはいけませんか?

病を抱えた女子高生・心美が誰かの役に立ちたいとドナー登録をしたいという。それに同意できない兄・深澤。ドナー提供を受けて生きている桜庭。突然亡くなった母親の臓器提供に同意した美月。それぞれの価値観がぶつかりあう9話でした。

エピソード自体は見ている私たちに疑問を投げかけるというか、考えるきっかけをくれるよい回だったと思うのです。ただ、ひとつだけどうしても私が腑に落ちないことがあります。

それは「人の役に立てないのなら堂々と生きてはいけないのか?」という点。心美も桜庭もこう言うんですよね。

「(誰かの役に立てるから)これで胸張って生きていける」

もちろん人の役に立ちたいというのは自然な欲求だし、誰の役にも立てない自分というのがときに辛くなる気持ちは自分も経験があるのでそこは共感できます。でもこれは、これはどうだろう……すごく危うい気がするんだ……。5話で美月が言っていた「たいして誰の役にも立てないくらいなら太く短く生きたほうがマシ」という台詞が私の中で蘇ってしまったのです。

人は「誰かの役に立つため」に生きているのでしょうか?

違うと思います。人間には存在それ自体に絶対的価値を認めるべきです。役に立つとか立たないとか生きる意味があるとかないとか納税額が高いとか低いとか、そういう話は抜きにして、ただ生きていい

カントの言葉を借りましょう。「人間は単に手段としてではなく、常に同時に目的それ自体として扱われるべきもの」です。他者が私を手段として扱うことも、私が他者を手段として扱うこともしてはいけない。人間を「役に立つかどうか」という相対的な尺度で測る必要などない。誰の役に立たなくても生きていいんです。

まあ心美に対しては深澤が「心美はいるだけで十分役に立っている」という趣旨の台詞で応えているので、「これで(=ドナー登録したから)役に立つ」というのは否定されていると思うのですが。あまりにも「誰かの役に立つから堂々と生きられる」というのが強調されると少し苦しく感じてしまいました。

何か特別なことをしなくたって、あなたや私がいるだけで誰かの役に立つことはある。そして役に立たなくても、あなたも私も胸張って生きていい。あなたも私も生きている。それでいい。ご飯食べよう。

最終回まであと2話。ブツブツ言いながら……観ることにします。

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