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夕景がふさがれても

日が短くなってきた。
もう少し明るいうちに行けるはずだったけど、思ったより夕餉の支度に手間取り、出るのが遅れた。
オカズのほとんどを作り終え、後は炊飯器まかせとスイッチを押した。
はやる気持ちでサクッと着替えノルディックポールを掴んで飛びだした。
暗くなり始めていたけれど涼しく歩くのには丁度いい。準備体操を入念にと、足を伸ばし股関節も伸ばしてから歩き出す。坂を降りたところで、ふと、いつもとは違うコースに行ってみようと思い立ち、反対側を選んだ。
久しぶりにこちらの道を通る。
こちらは起伏が激しいので、膝を痛めてからあまり通らなくなっていた。
ゆっくりとした下り坂の途中、小学校を過ぎて、「あれ?」と違和感があった。
しばらく立ち止まって前景を眺める。
こんなかんじだったっけ?
しばらくその原因が分からなかった。
見つめて数秒、違和感の正体に気づいた。
マンションが建ったのだ。
もちろんその場所にあたらしいマンションが建てられたのは存じ上げている。
地主が売ったという噂も聞いた。
それでも、自分が通った小学校からみえる見慣れた景色の先、このマンションが入り込んでくる、という想像は全くしなかった。
このマンションがなければ季節によっては夕陽が美しく見えるはずだ。
ちょっと寂しい気持ちになって、すぐ複雑な面持ちになった。
夕陽が見えるはずのこの景色、マンションが夕陽に取って代わることによって、ありふれたシーンから写真「映え」のする場所に、変わってしまった。
人によっては夕陽の方が良い景色だと感じるかもしれない。私もこの景色を見るまでは考えもしなかった。
美しい夕景は、この地では日常だ。
それ以上に、新たな風景の特異さが際立っていて、
遮られて残念な気持と、映える切り取りが出来る場所になってしまったことに何か複雑な心境になってしまった。
遮られて代わりに建ったものが案外美しかった。
それだけなのに何だかちょっと口惜しい。
「こんなことは誰も思わないだろうな」
そう思いながら、撮った写真。
少し位置がズレていくとマンションは普通の建物になった。映える場所があるのだ。
そういう瞬間、切り取られた場所、そこに美がある。
難しいものだな。

田舎のあまった土地は、田んぼだったり畑だったりしてのんびりしたものだった。
代替わりで売られたり、ちょっと売りにくい崖を含めた隙間の土地、大手の不動産屋が、そんな地元の人間では手をつけない土地に、重機を使ってザァーとならしてしまっていっちょうあがり、あっという間にミニ宅地ができ上がる。
沼地はマンションになり、立派な外観だが、地元の人間は買わない。地盤を知っているからだ。
あちこちに景観を考えずに無計画に建てられるマンション。
随分アンバランスだ。
去年、マンションが乱立している辺りを走ってみたが「こんなところに!」という感想だった。僅かな隙間に建てるもんだな、と感心する。
都会からやってきて文脈も何も考えず、空いてる隙間に建てちゃうし、田舎者はわけも分からず売っちゃうのだ。

間隙を縫って建ったマンション。
それが、ある位置からみたら全く違う意味を持ってそこにある。
悔しいが趣があった。
少しズレると全く違うものになってしまう儚さも。

見慣れたのんびりしたふるさとは、都会からやってきた優秀な不動産屋とビル屋、田舎の目の前のことしか考えない精薄な2代目との結託によって、30年後には確実に負債となる建物だらけになる。そんな未来に暗澹としながら、妙に美しい景観に複雑な気分になるのだ。

#PLANETSCLUB  #ランニング部
#ノルディックウォーキング


ちょっと寂しいみんなに😢