記憶は人の都合で変わるから、だから書いて残したいと思った。ーその2ー次世代にのこしたいこと

トラウマ治療にあたっている方は日々の臨床を思い返してほしい。

二次被害が起こったとき(というかクライアントが怒り出して(Fightして))治療者自身の感情を扱えなくなったときのことを。


そして当事者は自分自身を振り返ってほしい。(自分にも言ってる)

その関係性の中ではじめてファイトしたその相手は、自分との約束を破ったor嘘をついたor自分の意見を差し置いて治療者の意見を通そうとしたのではないかと。

私のこれまでの二次被害のパターンはすべて、治療者の


・約束を守らない

・嘘をつく


この2点が治療者側から起きて謝らずにあいまいにしたとき、攻撃に転じちゃうことから起こっていたことに気がついた。

そして、当然のことながら治療者は攻撃するわたしに対して陰性感情を持つ。

仲直りするにしても、こっちから謝るのはおかしいとおもった。初発の原因つくったのは治療者だから。その後の攻撃はこちらに原因があるので結局のところフィフティフィフティなんだけど。


嘘をつかれたり約束を破られたときに、相手を攻撃してしまう、過去に虐待者から攻撃されていた(加害者を内在化していた)じぶん。


これはもう自分にとって必要ないよな、と思ったので、ありがとうありがとう、もう大丈夫だよ、ぼくは自分をだいじにできるから、ありがとうばいばい👋と、そのじぶんを手放した。でも「まだあの嘘つきの口にヤモリ入れてない…」とちょっとだけ不服そうだった。(過去のトラウマ)


これまであらゆる病院で出入り禁止になった。

いろんな医者に「あなたはもう診れない」と言われた。

友人たちはみんな死んでひとりになった。


なんとかしたくてトラウマの専門家の元に足を運んだけれど、これまでの人はだいたいぼくのファイトにファイトで応戦してきた。いわゆる自分の傷のケアができてない人しかいなかった。どんなに有名な治療法を開発した人でもトラウマインフォームドケアの視点や原則から見ると、アウトでしかなかった。


傷の大きさに圧倒されたとき、傷の背景が見えなくて性格の問題と考えて抱えられなくなったそのときに"力"を使う。

ぼくとともだちになってくれた人以外、だれもが専門家という鎧を身に纏ってるだけでしかなかった。


治療者と対峙した帰りは、もう今回こそは自殺しようかと何時間も悩んでた。

でもその度に思い出すことは、失敗したときの絶望感とリアルな身体的な苦しさだった。


失敗して生きるなら、このままのほうがよい。

自殺失敗者には救急医療スタッフはたまらなく冷たい。そんな態度取るなら、助けなければよかったのに。

そう思ったからこそ、次死ぬときは絶対に失敗しちゃいけないと思ってた。

どこにも居場所がなかった。

自分が自分らしく居れる場所は空想の世界だけだった。保護室に入ってたときも、空想世界では自由に遊べる。身体を拘束されていても、どこにでもいける。自由になれる。


だけどきっと
夢の世界に生きている間は"ほんとうには"しあわせにはなれない。
しあわせは到達するものだから、自分の足で歩いていかなくちゃいけない。

いつだってどんなときだって

ひとりになったじぶんは人生のハンドルを握り続けてきたつもりだったけれど

今度は車から降りてみる。

きっともうこれ以上

なにもがんばらなくても、なにもしなくても、この"じぶん"という存在だけでいいと思った。

「どうせ僕に関わるのは仕事なんやろう!中途半端に関わるなら2度と関わらんといて!」
と言ってた自分に今の自分ならどう関わるか。

僕が周囲に「中途半端に関わるなら関わってほしくない」と言ってたことは自分自身の「生存権を保障するため」に自分自身で動かないといけない出来事ばかりだったから、到底まわりの人が僕に何か手助けできるようなことではなかった。

だけど今の僕ならなにもできなくても一緒に"いる"ことはできるのではないかと思う。

トラウマを経験するときはいつもひとりだから。

中途半端に手を差し伸べて去っていった人たちと、同じ轍は踏まない。
それがぼくの人生の責任の取り方で、これからの"じぶん"の生き方だとおもう。

もうだれも自分と同じ思いをする人がいなくなる社会になりますように。

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