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動物園ってなんだ?

永らく「動物園とはなにか」が私の疑問であった。最近、なんかこうようやく答えが出そうな気がするので急ぎメモとしてブログに残しておく。
そんで、自分の中で動物園とは何かを考える時に命題が3つぐらいあるんだけど、それについてそれぞれ書いていきたい。

動物園は誰のための施設なのか

動物園は誰のための施設かというと、それは紛れもなく人間のための施設だと思っている。
だって、動物園は人間が作り出した施設だし、人間が生み出した概念である以上、ヒトの価値観の枠を超えることが出来ないからだ。この枠が越えられない以上、本当の意味での動物のためってやつはない。我々が動物に対しておこなっている良いとされる行為は、人間が人間の価値観で決めたある枠(例えば、科学とか)の中での動物にとって良い行為に過ぎない。これは、動物愛護や動物福祉とかを考える以前に前提として理解しておくべきことだと思っているけど、うまく説明できた試しがないので、もうちょいキレイに説明できるようになりたい。

動物園の本質

次に動物園の本質について考えたい。
動物園には4つの目的があるんだけど、それを手掛かりにしたい。
その前に、動物園の定義について軽く触れておく。動物園の定義は、いくつかあるがもっともシンプルに定義するのならば、
「動物を集め、飼育し、見せる場」だと思う。
この定義であれば、現状動物園と呼ばれる施設の全てに当てはめることができるはずだ。

さて、動物園自身が掲げる現代の目的は
一般的には
・保全
・教育
・研究
・レクリエーション
の4つとしている。
それぞれについて、こんな意味があるんですよーっていうのを動物園側は一生懸命アピールしているし、ある一定の意味はあると思っている。けれど、純粋な意味での保全や研究は、来園者に公開しない方がずっとうまくいくことの方が多い。
保全が目的であれば、非公開施設で飼育し繁殖させ、リリースすれば良いし、研究またしかり人々に公開する必要はない。余計な変数をかけない方がより純度の高い結果が得られるはずだ。よって、保全も研究も大切なことだけど、動物園の本質とは言えないと思う。
では、なにが動物園の本質か。それは、「伝える」ということだ。
どんな動物園でも動物を見せている。
人々に公開するということには、伝えたいことが設置者にあるということだ。
例えば、古代の動物園であれば、時の権力者が、自分の権力を誇示するために異国の動物を集め、飼育し、それを公開していたし、近代動物園では、自然科学を市民に伝える為に動物を集め、飼育し、広く一般に公開した。いつの時代でも動物園は何らかのメッセージをヒトに向けて発信していた。この伝えるという行為に動物園の本質が詰まっているのではないか。保全や研究がそれがどんな風に大切か伝えるために動物園は機能していると考えると保全や研究が目的として掲げる意味もわかる。

もう少し掘り下げると、これは動物園は誰のための施設かという命題にもつながる話になる。現在、動物園で大事だと言われている保全も福祉もすべて人因的な問題である。仮に、人類が絶滅すれば、保全活動も動物福祉も環境問題もどれ一つとして問題にはならない。なぜなら、これらのすべては、人間の問題だからだ。だとすれば、我々が向き合うべき一番大切な対象は、ゾウでもシロサイでもホッキョクグマでもなくヒトなのではないか。

ヒトにとって動物園とはなにか

すこし 話が変わるけども、以前何かの本で読んだが、どうやら人間は「他人」や「他者」を介在させないと成長できないようになっているらしい。なぜかは分からないけど、そうなっている。みんなは、3歳以前の記憶はあるだろうか。たぶんほとんどの人がないと答えると思う。ぼく自身もない。それはなぜか。我々は3歳以前では、まだ「自分」という意識がないからだ。「自分」がわかるようになるためには、「他者」という存在を理解しなければならない。自分を取り巻くさまざまな「他者」を知るところから、「自分」という意識が生まれてくる。そして、人間が自分取り巻く環境=「他者」を認知するには、生まれてから3年ぐらいはかかってしまう。だから、我々には3歳以前の記憶がないというわけだ。「他者」は自分以外の全ての環境を指す。そこには当然動物も含まれる。本当にそうだとしたら、動物園は都市に生活する人間が動物あるいは自然という他者を介在して人間を見つめなおす場なのかもしれない。

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