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朝5時の恋バナ、東大生活を捧げた演劇。マンガ編集者・千代田修平の“ムダ”が磨いた「センス」とは

いわゆる「勤勉」なイメージを持たれる方が、勉強そっちのけで取り組んでいたことをお聞きする連載、「そっちのけ紀」
初回にお話をうかがったのは、小学館でマンガ編集者を務める、千代田修平(ちよだ しゅうへい)さんです。2017年に入社し、若手ながら数々のヒット作品を手がけてきました。

自身の担当作である『チ。―地球の運動について―』(魚豊・作)は累計300万部を突破し、アニメ化が決定。『日本三國』(松木 いっか・作)は現在好評連載中で、「次にくるマンガ大賞 2023」にノミネートされるなど注目を集めています。

千葉県のエリート高校から東京大学に進学したという千代田さんですが、いわゆる「優等生」とはちょっと違ったそう。一体どんな風に過ごしたのか、何に夢中だったのか。千代田さんを形づくってきた青春の“余白”を紐解きます。

千代田 修平(ちよだ しゅうへい)
1993年生まれ。東京大学を卒業し、2017年に小学館に入社。ビッグコミックスピリッツ編集部を経て2020年からマンガワン編集部に在籍。主な担当作に『チ。―地球の運動について―』や『日本三國』など。Twitter:@cyd__

「織田信長」を漢字で書いた幼稚園生時代

—— 千代田さんは、地元・千葉県のトップ高校から東大に進学されています。やはり、教育熱心な家庭で育ったんでしょうか?

いやいや、そんなことはありません。むしろ僕の両親には、「放任」という言葉がぴったり。両親から「勉強しろ」と言われた記憶は、まったくないです。

——自由な親御さんのもとで、小さい頃は何をされていたんですか?

両親が大のゲーム好き、マンガ好きで。本も読むから家にはいろいろなコンテンツが揃っていました。子ども時代は、とにかくそれに夢中でしたね。
ゲームを始めたのは、幼稚園の頃。成長して文章がスラスラ読めるようになると、『るろうに剣心』『SLAM DUNK』など、親世代が読んでいた少年ジャンプ作品や、村上春樹、星新一などの小説にのめり込んでいきました。

あ、ひとつ幼少期のエピソードを思い出しました。幼稚園の年長のとき、「将来なりたいもの」を紙に書く時間があって。教室のみんなが「いちろー」とか「ぴかちゅう」とかひらがなで書くなか、僕だけ漢字で「織田信長」って書いたんです(笑)。『信長の野望』というゲームにハマっていたおかげですね。

—— すごい(笑)。

思えば東西南北の方位だってドラクエで学びましたし、ゲームで知ったことは山ほどあります。勉強そっちのけで没頭しましたが、親からはほとんど何も言われませんでした。
ただ、祖母が塾講師をしていた関係で、家にテキストはたくさんありました。小学生の頃は、気がつけばそれで勉強する習慣ができていましたね。

—— 「勉強しなさい」とは言われないけど、気が向いたらできる環境だった。

そう、強制されないからこそ結構楽しんで勉強していた気がします。気が向くように無意識下で何かされていたのかもしれませんが(笑)。
おかげで中学に上がったときに、最初の全校模試で学年2位になったんですよ。その成績を見て初めて、僕も親も「あれ、結構頭いいんじゃない?」ってびっくりして(笑)。

—— 可能性に気づいたんですね(笑)。

そこで勉強へのプライドが生まれたのは事実です。一度「頭いいキャラ」になったのに、成績を落としたらダサいな、と。だからちゃんと勉強しようと自然に思えて。中学校では、生徒会にも入っていましたね。

—— なんだか、まさに優等生って感じです。

たしかに周囲はそう思っていたかもしれません。
僕、中学校1年生のときに仲良くしていたグループがあって。でも2年生に上がるときのクラス替えで、僕だけ仲良しからはぐれて、ちょっとやんちゃなやつが多いクラスに入れられたんですよ。しかも僕の学校は3年生でクラス替えがなかった。なんだかんだ新しい友達もできて楽しく過ごせたものの、当時はかなりショックでしたね。

でも20歳になって当時の先生に会ったとき、こう言われたんです。「千代田だったら、あのクラスをまとめてくれると思ったんだよ。おかげで助かった」って。正直「ふざけんじゃねぇよ」と思いましたけど(笑)、当時は優等生として頼られていたんでしょうね。
でも実際の僕は、いわゆる真面目な生徒とは違いました。生徒会のほかに野球部にも入っていましたが、結構サボっていた記憶があります。

—— そうなんですか。

部活に熱中できなかったのは、高校でも同じでした。弓道部に入ったけれど、2年で辞めています。活動そのものじゃなくて、単に友達とお喋りするのが楽しかっただけなんですよね。

—— じゃあ、放課後はどんなふうに過ごしていたんですか?

中学生時代は、ゲーム、読書、インターネット三昧。中学2年生からは塾にも通うようになりました。高校に上がってからも似たような感じでしたが、部活を辞めてからは友達と恋愛の話ばっかりしてました(笑)。でも、さすがに高校2年生の冬からは、受験に向けて死ぬほど勉強しましたよ。友達と「勉強しようぜ」って、早朝5時から教室に集まって自習していた時期もあったくらい。でも気づいたら手が止まっていて、朝からまた恋の話に……。

—— ははは(笑)。思いっきり「青春」していますね。

結局、センター試験(編注:現在の大学入学共通テスト)直前まで、付き合うとか、付き合わないとかで恋愛関係をこじらせていましたからね。かなり「青春」しました。

「きれいに」落ちこぼれた結果、勉学から演劇の世界へ

—— 東大入学後は、聞くところによると演劇に相当熱中したそうで。

元々、芝居に興味を持ったきっかけは高校の文化祭でした。僕は脚本を書きつつ出演もしたんですが、そこで演劇の楽しさに目覚めて。大学生になったら劇団に入ろうと決めました。
結局、大学生活を捧げるくらい熱中するわけですが、これにはちょっと別の事情もあって……。実は東大に入ってから、勉強面できれいに落ちこぼれたんです。

—— 「きれいな落ちこぼれ」ですか。

僕、入試では0.1点差のギリギリで合格したんですよ。入ってみると、やっぱり皆めちゃくちゃ頭が良くて。東大だとビリに近かったです。
学生から「大仏」って言われていたほどやさしかった教授の追試を2回受けていますからね。それもあって、勉学じゃなくてエンターテイメントのセンスで勝負するしかないと、入学して早々に舵を切りました。
最初は劇団のサークルに入って役者をしていたんですけど、高校の文化祭みたいに自分で劇をプロデュースしたくなって。2年生の冬に、劇団を旗揚げしました。

——へえ。千代田さんの思う、演劇をプロデュースする面白さって、どこにあるんでしょう。やっぱり自分の考えた作品が観客に届くことですか?

うーん。もちろんそれもあるけれど、僕が面白いと思ったのは、自分がすごいと思った天才をキャスティングして、世に出せることです。その嬉しさが、脚本や演出を見てもらう嬉しさより勝った。あえてわかりやすく、露悪的に言うと、「センス自慢」がしたいのかもしれません。

—— センス自慢。

僕の目のつけどころは人とはちょっと違うぞ、とセンスを自慢する感じです。で、観客からいい反響があったら「でしょ?」って得意に思う。
僕は昔から、音楽でもマンガでも、流行ど真ん中じゃないところにハマりたい逆張り精神があるんですよ。みんなが中学で「GReeeeN」を聴いているときに「QUEEN」を聴いているみたいな。その延長にあるのかもしれません。
自分のセンスで天才を見出して、その才能をみんなが評価してくれる。それがとにかく楽しくて。編集者という仕事を選んだのも、「センス自慢」がしたかったからと言ってもいいかもしれません(笑)。

—— たしかに編集者の仕事と、劇団のプロデュースは共通点も多い気がします。才能のある作家さんを発掘して、磨いて、世に送り出す。マンガの編集者になった今、千代田さんが天才だと思う作家さんはどんな人ですか?

たくさんいらっしゃいますが、やはり『チ。―地球の運動について―』を描いた魚豊(うおと)先生はいまでも打ち合わせをする度に驚かされますね。
前も突然、「最近カップルユーチューバーを見ています」って言うから理由を聞いてみたんです。若いカップルがいちゃいちゃしているだけの、僕は1ミリも興味が湧かないような動画だったんですが、彼はそこから一気にカント哲学まで話を広げていく(笑)。本当に深い知識とビビッドな感性をお持ちなので、同じものを見ていても、そこからの発想が豊かすぎるんですよね。
ちょっとした会話のなかでも、生きてきた世界が僕とはまるで違うと感じます。

—— ちなみに、「自分が天才として世に出たい!」という気持ちはなかったんですか?

ありましたよ。でも僕の中でいう天才って、0から1を生む才能がある人、もっと言うと「つくらないと死ぬ」人なんです。でも、僕はその距離感で創作に向き合えない。だから諦めがつきました。
今でも覚えているのが、大学で入った劇団に、僕には絶対書けないようなすごい脚本を書く天才がいたんです。でも彼は真剣に創作と向き合うあまり、思い詰めて地元に帰ってしまった。その姿を見ていて、自分は命がけで0から1を生める人間ではないと気づいたんです。言ってしまえば、己の凡庸さを知ってしまったというか。

ゲーム、マンガ、アニメ……。「大人が本気でつくったコンテンツ」は、いいに決まっている

—— 他メディアのインタビューで、編集者に必要なスキルは「面白がる力」だとおっしゃっていました。千代田さんは、その力をどこで培ってきたんでしょうか。

いろんなコンテンツに触れてきたことが大きいと思っています。僕はマンガやゲームを通して「一見興味がないことでも、やってみたら案外楽しめる」ってことを体感してきたんですよ。
編集者になった今も、友達から誘われて「廃墟ツアー」に参加してみたり、能を観に行ったりしています。どれも楽しかったですね。

—— もしご自身が親になったら、お子さんにも色んなコンテンツに触れさせてあげますか?

子どもに対して娯楽コンテンツを制限しないほうがいいかなって思います。
僕もゲームやマンガからいろいろなことを学びましたし、娯楽コンテンツが一概に「時間のムダ」だとは言い切れないと思うんです。大人が本気でつくっているものだから、色々なものが詰まっているに決まってます。扱っている題材だって、教科書に載っているような歴史ものや生物系など、教養になるものもありますしね。
知識を得ることは、本来楽しい行為であるはず。その喜びを得られるなら、とっかかりは何でもいいんじゃないでしょうか。

—— たしかに。その経験があったからこそ、今の千代田さんがいるわけですもんね。

そうそう。何がムダかなんて、わからないものです。
恋愛話に明け暮れたことも、勉強をほったらかして演劇に没頭したことも、すべて今の仕事につながってます。あの頃のエモい記憶があるから僕は、青春モノの作品にどっぷり浸れる。結果、「いつか青春マンガを世に出したい」という今の目標になっています。遠回りしたように見える経験も、こうしてつながっていくんですよね。

——千代田さんを形づくってきた青春の“余白”が見えました。本日はありがとうございました。


取材・執筆:安岡晴香
撮影:小池大介
編集:三浦玲央奈(株式会社ツドイ)

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