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09 - 涙の再会・2

それ以来、ロンがこの世を去るまでの20年以上もの間、私たちは何年かに一度再会しては、お互いの近況を報告しあう関係が続きました。どんなに言葉で飾り立てても、表面を繕っても、ロンは私が心の中で抱えていることを、いつもすぐに見抜いてしまいました。そして時には元気付けたり、ある時は叱咤激励したりと、私には見えない私の軌道を、修正してくれるような存在でした。


東北大震災の時も、たまたま東京に滞在していたロンから連絡があったのは、震災の数日後でした。(これからどうなってしまうのだろう?)と青い顔をしていた私を呼び出して、彼は「大丈夫。日本人は必ずこの困難を乗り越えられるから」といつもの調子で繰り返しました。そのことが、ニュースばかり見て不安になっていた一人暮らしの私を、どれだけ勇気付けてくれたことでしょう。


彼が亡くなる半年前にも、私たちは言葉を交わす機会がありました。東京に住む私の家族が、私たち夫婦の住むNYを訪れていた時のことです。偶然、ロンも同じタイミングでNYにいることがわかり、初めてロンと父と、私と妹のメグ、という顔ぶれで会うことになったのです。カーネギーホールの隣にあるカフェで、私たちはお茶をオーダーしながら、お互いに簡単な近況報告をしていました。


するとその会話もそこそこに、私の正面に座ったロンが真剣な眼差しで、「真由、どうしちゃったんだい?もっと外に出て、もっと自分を開放してごらんよ。好きなことを、やりたいことを、もっと思う存分やってごらんよ。」と言いました。その様子はとてももどかしそうで、少しいつものロンと様子が違っていました。


私はといえば、NYに移り住んでちょうど1年が経つ頃で、やっと結婚生活にも、NYの生活にも慣れてきた、と思っていた矢先でした。振り返ると、自分を新しい環境に馴染ませるのに必死で、(好きなこと、と言われても。。。)と、いまいちピンときていなかったように思います。それどころか、(会った途端に、そんなに心配するなんて失礼しちゃう。結婚したことを、もっと喜んでくれてもいいのに)と、少しむくれていました。


結局、会っていた時間の半分以上を、そうやって彼は私の心配ばかりしていました。同席していた父と妹も不思議に思い、「よっぽど今のお姉ちゃんの状況が、ロンにとってみたら心配だったみたいね?」と言うほどでした。でもまさか、それが私たちの最後の会話になるとは、考えもしませんでした。そしてこの時のロンの言葉が、年月を超えてチョコからの言葉とシンクするなんてことも、誰にも想像すらできませんでした。


。。。。


(確か、ロンに初めて会ったあの時も、今日と同じく突然懐かしい気持ちが満ち溢れて、泣いてしまったんだった。。。)私はぼんやりと、そんなことを思い出していました。


会話もしたことのない初対面の人を相手に、突然泣き出すなんて普通に考えると有りえないことですよね。でも実際に、このロンとチョコとの出会いで、私は言葉にしづらい、体の奥の奥から感情を揺さぶられるような、自分の意思ではどうしようもなく体と心が反応してしまうような、そんな不思議な体験をしたのです。そして、そこに共通するのは、「過去生で同じ時を過ごした」というものでした。


つづく。

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