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元気が一番(全文無料)

元気が一番だと思いました。本当に、元気が一番だと思います。
ビタミンCの錠剤を飲んで薬を塗ったら、アトピーなのか湿疹なのか、爛れていた右手が無理なく機能してくれるようになってくれて、とても嬉しい。

皆さんも元気を一番にして暮らしてくださったらいいなと思います。

以下、1万2千字程度の文章を書きました。
面白かったり、もし何かの役に立てたりしたら幸いです。金を下さい。

私は歴史が手渡してくれた恩恵について、きちんと享受し続けたい。それはどういうことかというと、先の人たちがただ生きたり、生きることを面白がったり、生きるために戦ったりしながら「あなたたち未来が、大切な人たちと共に、私達よりもよい生を生きられますように」と遺してくれたものの価値についてわかりたいということです。
私が食べた果実は間違いなく「甘い」のだと証明したい。


(全部無料で読めます)

早く神になれ

自身を理法の外に置くなら。
詩や創作の形態を取るか、言語世界の再構築を自分でやらないといけない。
できないなら理法には倣うしかない。
特定の術士に特赦が与えられていたフィールドは、もう電波によって壊れている。
私の声も、お前の声も、どこにでも届く、届いてしまう。

「ワープロ」

「ワープロで効率よく文字を打つだァ!?会社は遊びじゃねえんだぞ!」

 byワープロがわからない上司

という、「本当にあった怖い話」について考えていた。
「ワープロを使わせていただけないでしょうか。仕事の効率が上げられます。」と提言した部下がいたとき、上司が示した反応だったと思う。

「墨をすって筆で書いたお礼状」。これは今の感覚で言うと「果たし状」だと思うので、以降、果たし状とします。

果たし状をいい感じで仕上げることが、「ナイスな社会人スキル」として要求された時代はあるらしい。ハンコを傾ければ傾けるほど「わかっている奴」。「家、車、女」で見ていく相手のパワー。かつて本当にあった地獄の話。

「ワープロ?なにそれ!楽しそう!」みたいなタイプの年上の方を、本気で大切に敬おうと思った。あらゆる呪いに勝てるのは、「楽」と「快適」の普及。それらを受け入れている人間を本当に本当に大切にしたい。「楽」と「快適」を得るためには必ず変化が伴うから、受け入れる側も普及させる側も覚悟は要ると思う。ただ、全員なるべく楽になったほうがいいので、ワープロは導入したほうがいい。

ワープロがわからない上司

「ワープロを使うやつは仕事で楽をしたいクズ」
「機械に任せるのは危険じゃない?」
「文字が下手なの?」
「人をなんだと思っているんだ、手書きで無ければ心も無い」

byワープロがわからない上司

ワープロを使いたい部下

・「ワープロを使うやつは仕事で楽をしたいクズ」
→全員が楽に仕事ができた方がいいと思います。覚えると本当に楽になります。

・「機械に任せるのは危険じゃない?」
→ワープロは安全です。

・「文字が下手なの?」
→私の場合はそうです。

・「人をなんだと思っているんだ、手書きで無ければ心も無い」
→人を人として大切に考えています。
1 読みやすい字で、相手に考えていることを伝えたいという意志
2 素早く(“手書き”にかかる工数を減らして)必要なものを届けたいという意志
これらは心からのものです。

byワープロを使いたい部下

「クズ」は中傷。「下手なの?」「心が無い」は、挑発に該当すると私は考える。
その上で、「部下がどうしてもワープロを使いたい場合」、ワープロの利点を説明する手間は、残念なことに「ワープロを使いたい部下」に発生することになってしまう。

「ワープロを使いたい部下」は、ワープロの説明をした後、「ワープロがわからない上司」から受けた中傷や挑発に対して「そもそもあいつなんなんだよ…」と感じた。自分は「ワープロがわからない上司」に対して「バカ」「失礼」などと言い返す権利があるのではないか。ワープロの使用許可が下りないのは仕方ないが、なぜそこまで侮辱されなければならないのか。

「ワープロを使いたい部下」には上司に言い返す権利がある。
その代わりに仕事を失ったり、上司から退職するまで嫌がらせを受ける可能性はあるが、言い返す権利はある。自分がそういった状況になった場合は仕事を失ってもかまわないので「なぜそこまでひどいことを仰るのですか」とまず聞いてしまう可能性が高いです。

「その権利はない」と考える人がいるとしたら、それは権力に慣れすぎていると私は思う。ただ、上司が初手で言った「遊びじゃねえんだぞ!」に対して、間髪入れずに「バカ」「失礼」と返すことを選ぶ「ワープロを使いたい部下」がいるとしたら、それは「ワープロがわからない上司」も気の毒だなとも思う。

「ワープロがわからない上司」にもいろいろある。

1 ワンランク上のビジネスパーソンになる
2 会社に貢献する
3 妻子を養い、幸せにする

この目標を大切に生きてきた、「ワープロがわからない上司」。
これらを実現させるために最も重要なこと、それは仕事先にご満足いただける「果たし状」の制作スキル取得と、絶え間ない研鑽。

「ワープロがわからない上司」は
・会社指定の書道教室に自費で通い
・人格否定の罵倒を受けながら学び
・10年もの修行を経て
素晴らしい果たし状を作れるようになった。お客様が大満足。

果たし状で取れた契約も沢山あったのかもしれない。
毛筆が下手な人間は、仕事の契約が取れなかった時代もあったのかもしれない。
果たし状を受け取ったお客様も、本当に、心の底から、喜んでいた。

果たし状がボールペンで書かれていた場合、お客様は契約を打ち切っていたかも。果たし状の力で取れた仕事によって、「ワープロを使いたい部下」の給料は出ているのかもしれない。「ワープロがわからない上司」は会社から常に「果たし状が作れないなら死んじまえ」「おまえの血を墨に混ぜて果たし状を作れ」「睡眠を2時間以上取るやつは人間じゃない」などのありえない暴言(パワハラ)を受け続けてきたのかもしれない。過酷な状況の中で、相手に合わせて気の利いた果たし状を作り続けることに、生き甲斐を感じていたのかもしれない。
かといって「ワープロを使いたい部下」に対する暴言はよくない。部下は気の毒だし、「ワープロがわからない上司」に対して言い返す権利がある。「遊びじゃねえんだぞ!」も「クズ」も、彼が受けた暴言や思想矯正に比べれば、だいぶマシなものかもしれないけれど。

私は、果たし状至上主義と言っても差し支えのない、狂った価値観の中で生き抜いた「ワープロがわからない上司」に対して、「そんなの全部嘘じゃん」「ワープロすらわからないバカ」「未開の人」などと言うことはできない。それは正気で居続けようとする限り、きっといつか自分に返ってくるナイフでもある。果たし状に命をかけてきた人間に対して、あまりにも残酷すぎる。

ただ、私が社員だったらワープロは絶対に使いたい。楽だから。
皆ワープロ使ってよ、お願い、どうして、ワープロはこんなにいいのに…果たし状を作り続けるしかない。お客様が喜ぶから。ワープロだとお客様が怒り、契約を打ち切られるかもしれないから。果たし状を作り続けるしかない。果たし状地獄。

“お客様を喜ばせることよりも、お客様の役に立つことが重要なんです”
すべて。すべてについて、そう言い切れたらどんなにいいか。
お客様を喜ばせたい。どうしても。
役にだって立ちたい。どうしても。

選択肢1
・私はワープロを使いたい。
・文明を受け入れる姿勢のないここに未来は無い。
と判断して会社を辞める。

選択肢2
・ワープロの使用を認めさせるべく一旦果たし状のプロになる。
・周辺の信頼を得て、ワープロの使用メリットを理解してもらうために動く。
・文明を諦め、会社と共に果たし状の専門家として先鋭化していく。

他にもいろいろあると思う。
他にも色々あると思うんだけど、

「よりよく仕事がしたい」「皆なるべく楽なほうがいい」
そう話して通じなかった時、サッとその会社を辞められるかどうかは、自分にとってとても重要なことだと思います。

「会社」以外の話をします。

「ワープロがわからない上司」をやっている方が、別に部下でもなんでもない社外の若い人がワープロを使っているのを見て、「ワープロを使ってるなんて、それ危ないやつじゃねえのか」と言ってしまった場合。

「ワープロがわからない上司」は、それが本人の耳に届いて、「どういうことなんでしょうか」と言われた場合、謝ったり、「なぜそう言ってしまったのか」を説明をした方が得だと思います。何にとって得かと言うと、魂と現世利益の両方にとって。

受け入れられるように話さなければ、基本的には誰も、何も受け入れてはくれない。誰も自分の苦しみや生き甲斐を理解してはくれない。「老害」というラベルを貼られて乗り続けるしか無いベルトコンベア。自分はどこに行くのだろう、文明が勝手に遠ざかっていく。頭上を自家用飛行機で飛んでいく若者たちは、一体どこへ行くのだろう。

ワープロを受け入れている世界は、もう既にある。

今は令和なので、私はワープロではなく、2017年製のiMacを使っている。
そちらのほうが便利だし、ワープロに触ったことは無い。
もっと早くて強そうなMac Studioを使いたいので、金が欲しい。


それ危ないやつじゃねえのか

ディストピアな未来で、60歳になった私について考えている。
“ワープロがわからない上司”改め“QQQがわからない私”。
人はいつでも間違う。なるべく間違わないように勉強をしたい。
あと間違ったら、許してもらえるかは別として、謝りたい。

ディストピア小説を書きました。

2052年、日本。

戦争も起きた。恋人も死んだ。深刻に少子化が進み、年金制度や生活保護制度は崩壊。海面は上昇し、国土面積は半分に。狭くなった陸で、ひしめくように暮らしている人々の中に私も居る。貯金や遺影の制作でなんとか食いつないでいる、4畳風呂なし築50年のアパートに住む60歳の私がいる。50歳まではなんとか定期的に仕事がもらえていたので、風呂付きのアパートに住んでいた。今は半年に1回ほど、遺影の受注があれば良いほう。昔はウェルカムボードを頼んでもらえた。遺影を描かせていただけるのも本当に幸せだけれど、戦争のせいで写真がなくなっているからご依頼が来る。ウェルカムボードは本当に楽しかった。

そういった状況でも、今の若い人より「金銭的にも」「状況的にも」恵まれていることには間違いない。私は教育を受けさせてもらった。私は読みたい本を読めた。私は人生の何年かを大好きな恋人と一緒に過ごすことができた。今の若者には、それも本当に難しいことのようだ。

60歳以上に対しては政府の配給食がある。「固形食」だ。貯金を崩せば半年に1度、フルーツを食べることすらできる。年1なら、紅茶も飲める。70までか、80までか。なんとかそれで生き延びられるかもしれない。若者たちに配給食はない。大学進学率は10%にまで落ちているのに、大卒でないと仕事がないらしい。「終身雇用」「保険」「福利厚生」などの制度は、名前と信仰だけが残っている。実態は焼け野原。
そんな中、政治家は「若い人間は子供を産め」「自助しろ」「若い人間がワガママなせいで国が滅びる」と言っている。

「私たちのときもそうだったな」と思い出す。「若い人間」に圧をかけている政治家や、「そうだそうだ、ワガママだ」と仰っていた皆さんは、何人産み育てましたか。人口の増加や経済発展に、どれほど確実に寄与しましたか。いいえ、産み育てなくてもいいのです。経済発展に寄与しなくてもいいのです。「やりたい人がやれる」よう、未来に希望を渡していくことが大事なのです。私が30代の頃に60代だったみなさん、あなた方が30代のころに払っていた年金保険料は月100円※1でしたね。私はその165倍のお金を支払っていましたが、今、私が受け取れるのは、配給の固形食ばかり。この話はやめましょう。

若い人たちは、無事にごはんを食べられているのだろうか。
海外や、若い人たちの間では「QQQ」と言うものが流行している様子。固形食の手に入らない若者にとって、必要なものらしい。QQQのことは、よくわからない。QQQの名前を聞き始めた当初、「やっていた」らしい友達が、すごく元気になったり、すごく落ち込んだりしていたことを覚えている。とても意義のある、よいものだとは聞いた気がするが、詳しくはどんなものなんだろう、調べてみよう。

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QQQ:脳にVPNNを刺して、エレクトリカルランから効率よく栄養を摂取する行為。固形食が手に入らない場合非常に有用。VPNN装置・エレクトリカルランの発達によって普及した。瞳孔から脳にVPNNを刺すパターンや、側頭部からVPNNを刺すパターンなどがある。固形食を排除する運動と紐付けられることもある。

QQQの普及に熱心なアーティスト一覧
・A(代表曲「命」)
・B(為政者に「死ね」と絶叫した件で指名手配され国外逃亡中)
・C(QQQを使用、周辺に深刻な被害をもたらしたのち死亡)

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※1
国民年金保険料の推移を参考に、フィクションを創作しました
https://www.nenkin.go.jp/service/kokunen/hokenryo/20150331.html

※「QQQ」は1つの事物に完全適合「しない」ように創作した概念です。

QQQについて

QQQは大切。QQQに助けられる人はたくさんいる。QQQには失敗もたくさんあったけれど、QQQによって助けられる人を助けたい。必要な場所にQQQを普及させたい。固形食で私腹を肥やす人間に「死ね」と表明しているアーティストや、すべての人の命のためにQQQを使っていく人のことを私は愛しています。“眼球を抉れ。固形食を許すな。“」

(QQQを大切に考えているPさん(20歳)のtw0tter)

言いかねない。「それ危ないやつじゃねえのか」

私は言いかねない。ていうか多分言う。言いたくない。twitterで言いかねない。20歳の子にクソリプを送りかねない。「若者の命がそれで実際的に助かっている」と聞いても、やりかねない。嫌だ。言いたくない。

思うな。思ったとして、言うな。頼むからやめてくれ。必要なんだよ。

私は子供を100人産み育てていない。
私は外貨を獲得できていない。
私に戦争は止められなかった。

私が生きてきた中の「成せなかったすべて」によって若者が苦しんでいる。
私達が生きた時代のせいで、私達がいま配給の固形食を食べているせいで、「苦肉の策」としてQQQが普及している。それなのに私は言った。
「それ危ないやつじゃねえのか」

よく考えてくれ。頼む。
不可抗力で落とされた地獄で生きているなら、地獄を作ったやつに「死ね」と言える人間を、かけがえのない光だと感じることもあるだろ。危ないとかじゃなくて。わかってくれ。「外圧」がきっかけで産まれる“自浄作用”はあるけれど、無理解な「外圧」そのものから産まれた“自浄作用”なんてなかっただろ。

「それ危ないやつじゃねえのか」。言ってしまった相手から「VPNN」や「エレクトリカルラン」、「QQQの価値」「固形食の既存権益性」について、丁寧な解説付きで無知や誤解、不備を指摘する話をしてもらったとき、私は適切な応答ができるのだろうか。

「本当に申し訳ありませんでした。私はQQQについて詳しくありませんでした。私の感覚で“「臓器に直接ものを刺す」という行為は危ない”ものだと短絡的に考えて話してしまっておりました。自分が固形食で暮らしていることや、固形食に匹敵する安全性をQQQに引き継げなかったことについて、反省します。QQQの必要性や、固形食で「暮らしてきてしまった」ことについてきちんと自覚した上で勉強します。苦しませてしまってすみません。」

「できなかったこと」を重く見て謝罪をやるスタイルの私(60歳)想定A

「邪魔をして申し訳ありませんでした。私は、地獄を変えられるために私にできることはすべてやりました。これからもそうします。誠実にお話をしてくださってありがとうございます。私は「そうするしかなかった」今の若い人たちが、老人になったときのことを考えました。もっと世界が過酷になってしまっていて、あなたがまた新しく産まれてきた人からその過酷さについて責められてしまったときのことを考えました。私は、あなたに、「既存権益に甘んじて暮らしてきてしまって申し訳なかった」と思わせる未来を渡したくありません。私は固形食を食べている・眼球を大切にしているため、QQQのことはまだ“危険”だと感じてしまいますが、その感情を取り扱うための言葉も認識も不足しているのはご指摘の通りです。」

自己主張が激し目の私(60歳)想定B


ギリ私は許すかもしれないやつ2つ。ディストピアで60になった私はこういった姿勢でいられるのか。誠実な指摘に対して、どうすれば相手の生や「私はこの地獄を変えたい」という心にふさわしい返答ができるのか。そう考えている隙に、周りが自分について「超ババア」「老害」「おまえが危ねーやつだよ」「固形食でブクブクのババアにはわからん」「“それ危ないやつじゃねえのかババア”」などと話しているのを見る。その上で誠実な指摘が「そこにあること」を、受け入れられるのだろうか。

(固形食を配給されている立場で、困窮した人が必死で命を繋ぐための営みを、よく知らないまま先に否定している、比較的恵まれた60歳女性…)

受け入れたい。がんばれ私、ありがたいなと思ってくれ。「それ危ないやつじゃねえのか」呼ばわりしたことについて謝罪か説明をしてくれ。若い人には未来がある。若い人たちが助かっているQQQについて、メリットをきちんと理解して、できなくても、せめて邪魔しないようにしてくれ。

また、「それ危ないやつじゃねえのか」をやってしまった同年代がいたとき、「人がやっていることを、よく知らないまま(※確認必要)“それ危ないやつじゃねえのか”呼ばわりはダメだと思います」と伝えた上で、「各種メリット」「楽」「便利」を理解する助けになりたい。

そうしないと、若者から「死」を祈られてもおかしくないと思う。ディストピアで60歳の私は、「教育を受けて・本を読んで・固形食を食べて」環境を破壊しながら、「それ危ないやつじゃねえのか」と言っている。この世を地獄だと感じている若者に対して。

固形食をやり続けた命で未来の邪魔とかしないでほしい。
そのことを、「自分が幸福になることを拒絶し続ける烙印」みたいな感じで機能させるかは別なんだけど、いきなり他所の人に「おまえ危険人物だろ」みたいなことを言ってはいけない。「
おまえ危険人物だろ」とか言われまくると、誰だってストレスで本当の危険人物になっていくから意味ないし。優しいってわかるところを優しい、ありがとうって言ったほうがいい。基本的に「危険」とかって勝手に迫ってくるので、自分から動くなら自他の幸福を目指したほうがいい。

「それ危ないんじゃねえのか」って、よく考えてみれば「歩行」とかも「それ危ないんじゃねえのか」ではある。

私はなるべく人の「死」を祈ったりしないように頑張ろうと思いました。
本当に、無事と幸福だけ祈りたい。

・大量殺戮にためらいがないorためらいがあってもやる
・人間を積極的に奴隷にしまくっている。指摘されてもやめない。

みたいな方がもしこの世にいたら、そういった方については「死」、祈ります。

自分の失言について丁寧に指摘されたとき、「やっぱQQQって危ねーんだな」とか、「アタシがアンタたちの目を覚まさせてやるよ、何をやってでも固形食を手に入れてみろ。フルーツを食え。QQQをやっている場合ではない」とか「QQQをやると気が狂うぞーッ!QQQをやっているやつは皆バカだーッ!!」みたいになってたら結構イヤだな。改善できるなら、頑張って生きてってほしい。60歳の私。

「マジ」の地雷問題


ディストピア未来創作話の中で、恋人をサッと殺したりしたまま日記(?)が終了してしまうと、困惑した状態になる人が多いかなと思ったので、もう一つ書きます。恋人の命については、現実的には私が守れるように働きます。具体的に何から守りたいかというと、「死」につながる不測の貧困、報われなさ、「理解しようとしてくれない」人と相対することによるストレス、それに伴う「自分は世界で一番最悪の存在なんじゃないのか」と思ってしまう気持ち、「完璧な果たし状を作れなければ死ぬ」という思い込みなどから守りたいと思う。

本題。

「マジ」と文中に加えただけで「これはまともな文章ではない」と判断する人がいる。「肉筆ではないから」そこに心はないと判断する人もいる。

組み合わせると、「“マジ”地雷です肉筆以外ブロックします」ということだと思うのですが、これについて話したい。「ワープロ地雷です肉筆以外ブロックします」という話でも、「QQQ地雷です固形食以外ブロックします」という話でもなく、すみません。そうするしかなかったので混線させています。一見対象性のないことがねじれて結びついていることってよくありますよね。この世はあんまり直線的な構成になっていない。そういう話がしたかった。

今回は「特定の単語」「概念」の受容と拒絶の関係についてグネグネ話しています。直接対話以外で確信を持って直線的に振る舞うと、基本的には定規にされる。さもなくば会話不可能の狂った方とされる。わたしは定規ではないし、会話する気のある人と会話の機会が欲しい

「肉筆以外ブロックします」状態の方

「肉筆以外ブロックします」状態の方については、先の「ワープロ」で述べました。直接的には「ワープロがわからない上司」ですね。

私は「技術発展」「楽」「助かり」の邪魔になりたくないですし、「楽」が大好きなので、もし「肉筆以外ブロックします」状態になってしまっている場合、教えてもらえると助かります。あと、「肉筆以外ブロックします」って別に悪いことではない。「肉筆になんか思い入れあるんだな」「ワープロ地雷なんだな」みたいな感じ。私は「ワープロがわからない上司」そのもの、肉筆至上主義者かつ周囲にも強制する人がいるところでは働けないけれど、人は大なり小なりそういうところがある。

「“マジ”地雷です」の方

「マジ」についての話をします。
それを「わかりたい」も「わからせたい」も私の欲望。
単純な暴力からは距離を取った考え方で暮らしたい。これも私の欲望。

・私は「マジ」を知ることで、深刻な状況から助かる人がいると認識している。
・「マジ」を名乗る人々から、経緯を追わない・筋の通らない大量の死ねDMや執拗な人格否定などを受けた結果、「マジ」が深刻な地雷になっている人も知っている。


なるべく多くの人に「マジ」の効能を届けたいとき、私はどうするべきか。

1「マジ」をたくさん使う
2「マジ」をなるべく使わない

私の中には、この2つの選択肢があって、「2「マジ」をなるべく使わない」を選ぶことが多い。


1 「マジ」をたくさん使うことの効能


「マジ」を見る機会そのものを増やせる

→「マジ」を必要としている人が、情報にアクセスしやすくなる手助けになる。

「マジ」の効能を理解している人と繋がりやすくなる
→情報交換、仲間を作る、マジについて勉強するなどの時に助かりやすい。

「マジ」で繋いだ人生をできる限り最高にすることによって、「マジ」って地雷じゃないんだ、「マジ」っていいものなんだなと他人に見せることができる。
→最高。

私は「マジ」を使わない方なので、たくさん使ったときの副作用については詳しくありません。気になる場合は「「マジ」を沢山使うことを選んだ上で、その副作用について語っている人」を見つけて下さい。


2「マジ」をなるべく使わない効能・副作用


「“マジ”地雷です」の人に「マジの効能」そのものを渡しにいける手が残る
「マジ」が地雷の人は、「マジ」を見ない。見ても「地雷」という目で見る。効能を見ない。基本的には「地雷」としてしか見ない。私はなんとかして効能だけ渡したい。

「マジ」って、「マジがあると困る」人にとって本当に邪魔だったんだろうね。
「マジは危険ですよ」「マジは最悪ですよ」と、すごく一生懸命言われている。「マジ」があると困る人や、その人たちの言うことを鵜呑みにした人たちから、「危険」「最悪」と言われ続けている。「マジ」の根底にある、これからの生への祈りが無視され続けている。

そういう中で「マジ」の効能に触れた人って、「マジ」が産まれた原因そのものによって深刻に困っている人が多い。

「マジ」の産まれた原因は、特定の存在に対する「理解の放棄」がシステムとして常態化しているということや、人💖人のやりとりを無視して「理解の放棄」側に回るやつしか勝ち組になれないようになっていることだと私は思っている。「勝ち組」ってなんだよほんとに。肩を組むな。目を合わせろ。「勝ちに行く」、「勝つしかない」みたいになる過程で結構、個性というか、何が好きで何が嫌いかみたいな、自分で選んできた人間性や言葉を失っていくように組まれている感じもヤバい。

「理解の放棄」の対象になるのって、よっぽど高潔な人でない限り、基本的には全員嫌だと思う。「絶対自分を理解するな」っていう風に話す人もいるけどレアだし、基本的にはあれって「私を定規にしないでください」「私はあなたを奴隷にしたくありません」って意味で発されている言葉だと思う。体質が定規。だから自分への理解をある程度(全部だが)放棄して、自由にしている風に見える人に親切にしてしまうことがある(奴隷になりそうにない)。「勝ち組」の奴隷になりやすい仕組みになっている。つら。そいつただただ勝ち組でいたいだけだよ。

他人への理解を放棄して、勝ち組=理解されたい放題サイド(とされている)に行けても、そこには人生も時間もなくしてしまった「勝ち組」という名の「自分のコピー」みたいな存在か、「自分が勝とうとしてしまったばっかりに、「うん」「ごめん」しか言わない奴隷にしてしまった、かつて愛した人」とか、「奴隷主にも奴隷にもならず殺害され続けた結果として、通り魔とか殺人鬼になってしまった人」みたいな存在しかいない感じになってくると思うので(全員気づいたそばから人生取り戻せる)結構地獄だと思います。

知らない人から突然「理解しろ」って言われたら困るのはわかるから、私は基本的に初手で自分から動くときは「あなたをこう理解しました」という話しかけしか行わないようにしているけど、理解、理解ってなんだろうね。なるべく理解されたいように理解を渡したいなと思っています。必死。命を助けるための行動をとるしかない。助けたい・助かりたいという心について、無視されたくない。

「人間の心が奴隷or奴隷主の関係にはめ込まれやすいシステムを運用し続けて、奴隷になったり奴隷主になったり、どちらにもならない関係で殺害され続けた結果として殺人鬼になったりしていると、なぜ生きているのかわからなくなってこの世は終わり、全員死にます」
という危機感が私にはあるのだが、なんとなく、分断され続けているなあと思う。攪乱され続けている。

まとめ:「マジ」という言葉が「集団の名詞」として地雷になっている人にも「理解こうです!理解は先にやるしかない。できる範囲でがんばるしかない。自分が理解を放棄されないためにそれを行うしかない」という話がしやすくてよい。わたしが「理解」を相手にとって適切に行えていない場合マジで最悪だが。
なんかこう、理解して下さろうとして、いつもありがとうございます。


●「マジ」をなるべく使わない副作用

「“マジ”を使ってる人にも、“マジ”が地雷の人にも普通に「スタンスを表明しないのは卑怯」という感じに思われる。
→しょうがない。

「今、おまえが生きている時点でありとあらゆる「マジ」に救われているのに「マジ」を掲げないのはどういうこと?」
私は仕事以外の領域で「大きな集団」の中に入ったとき、迷惑になるorどんな善人からも雑菌や汚物として見做されやすい。私は、あなたとは違う人生があって、あなたとは違うことを知っている。集団になったとき、そのことがどうしても無視される・許されるものが少なくなることに私は耐えられない。先に述べたように、わたしは「勝ち組」っていうか「組」がそもそも嫌だなと思っているので、そうなることを選べない。そこの矯正は不可能だったため、全力で集団化を避けて暮らしています。その一環として「マジ」掲げてません。

集団で頑張ることに活路を見出している人にとって、勝ち組になりたくないやつって多分普通に迷惑。このへんはもっと勉強したら意見変わるかもしれないです。
「組」がないと水道とか道路とか終わるのに、「組」のことを避けていてごめん。

「自分は“マジ”が地雷なのに、おまえは地雷を持ってきたな?」というショックがある方

ごめん…。
でも例えば、「あなたは積極的に○○をしたい方ですか?」って聞いたときに「yes」と言う人にはあまり会ったことがない。私にとって積極的に○○をしたい方は地雷ですが、よく出会います。「そうしていくことが生存に最適」「それが普通」という嘘のルールがこの世で運用され続けているせいで、よく見ます。
なのでべつに「わたしはマジです」と言う必要も特にないと思う。

(防衛のために地雷ワードへの反応が行われてしまっている場合、「防衛しなければならない理由」のほうを見ます。知る限りすべての場合「〇〇の対象ではなく、犯罪や、法で取り締まりきれない最悪を行っている」人だけが悪い。)



おまえの推しは他人の地雷


「マジ」がこの世に1つだけなわけがない。他人のマジをどう尊重していくか考えなければならない。

他人を奴隷にせず奴隷主にならず積極的殺人鬼にもならず、自分と他人が救われるための祈りの大元に触って、この世の「助かり」を増やすためにどう動いたらいいのかを、常に考えてたいなと思う。

誰かが私を殺しに来るまで、自分にナイフを突き刺しながら野蛮人の言葉で「説明」を絶叫し続けている。ヘレネスじゃないのは一見してわかるでしょ。一聴したらわかるでしょ。オメラスから歩み去ってなお幸福でいることを選んだ人々のことを愛している。


元気が一番


自分と他人が「楽になること」に繋がる苦労しか絶対にしたくない。「苦しんだほうが偉い」とかそういうのはない。苦しんだほうが偉い、とかほんとそういうのないです。「自分と他人が、生きながら楽になるように行動する」ことを見失わない人のことだけを信じている。

そう言わないと、誰もが苦しみの業火で永遠に焼かれ続けるハメになるのでヤバい。苦しまないように頑張ることにも、果てしない努力が要ります。「楽」や「進歩」のために必死で努力をしたとして、逃れられない苦しみに巻き取られることはあります。これを説明するために「私が、努力をしたものの、うまくいかずに苦しんだ経験」「現在いる地獄」の個別ケース、具体例を都度都度説明しなければならないとしたら、そんなのは誰にとっても間違っている。人間の想像力がバカにされている。私はできる限り元気に、幸せに暮らします。

ワープロの話だと思ってます?QQQなんかこの世のどこにもないよ。マジってマジの祈りの話ですからね。

あなたは誰をどのようにわかりたいですか。また、わかられたいですか。固有名詞にした途端になんにもわからなくなるようなことが多すぎる。

私はビタミンCを飲んで手にステロイドを塗って、洗濯物を干してきます。
読んで頂いてありがとうございました。

面白かったり、もし何かの役に立てたりしたら、幸いです。金を下さい。

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