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必要にしている人と必要とされている人

自分を軸として考えたとき、
相手が自分を必要としたなら

そこに
●相手があなたを必要としている
●あなたが相手に必要とされている
関係ができます。

この関わりを重く受け取りやすいのは、
必要とされている側が多い。


必要とされたことで、
「相手に自分は認められた」
と受け取るから。


間違いないではないです。

けど、過度な認識は
自分の価値を高めてしまうし、
相手の期待から外れていく流れを
たまに見かけます。


「必要とされている」かどうかは、
相手が見るもので
自分が選べるものではない。


もし選ばれる自分を売りにするならば、
危うくなるのは
必要とされる自分がスゴいという認識。


自己犠牲を働く人もいれば、
押し売りをする人も出てくる。


だから必要とされたから、
やらなければいけないものとするより、

『必要とされても選べる自分でいる』
ことが大事と思います。

必要とされたときの自身の気持ちを


もしあなたが家政婦をやっているならば、
必要とされているからと、
依頼もない人の自宅を訪問したら、
相手はあなたをどう見るでしょう。

たぶん、いい顔はしないですよね。

料理は好きでも、嫌いな風呂掃除を頼まれたら、あなたもいい顔はしにくい。

あなたもまた、
あなたが必要としているものを見なければならない。

必要とされている、
ことを存在の証明への材料にしてしまえば、

あなたの気持ちも、
あなたが必要としているもの
も分からなくなってしまいます。

選ぶ基準が、
自分を必要としているものになってしまうから。

悪かないです、
けど自分の願望を立てるなら
自ら必要としているものを選ぶ目はいる。


必要にしている人、
必要とされたい人、
そして、求められたことをやりたいか。


必要とされたのは、
相手が必要にしているときに欲しかった。

利害の一致
(同意をするかは任せられてる)

必要とされたのは、あなただからだよ


あなたでいれば、必要な時に声がかかる。

必要とされたい自分に成り下がらなくていいです。

必要としている人に
応えられる自分でいればいい。

あなたも
あなたが必要としている人を選べる側なんだから。

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