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教育を考える―教師という仕事

2023/2/16(木):教育を考える⑱
 教育という仕事について考える木曜日。
 今日は「教師」とはどんな仕事か…という根本的なものについて焦点を当てていきたいと思います。
 では今回も大村はま先生の言葉から学んでいきましょう。

「指導法」なんかもはげしく批判してくる時もあります。「なぜこの事を先に教えなければならないのか」と聞いてくることもあります。私は子どもたちにそのようにしつけているせいもありますが、学習活動の仕事でも、「これをやりなさい」と言っても、納得いかなければ目的を尋ねてくることがあります。(中略)「批判力」というのは、そうやってできるのです。子どもたちが成長して教師を乗り越えかかってきたわけです。うれしいことです。反抗心」は、もなんでもないのです。反抗心なんてものではない、「反抗心」と見えるのは熱に燃える子どものなまの心だと思います。(中略)子どもに反抗されることは、私にとってはとても喜びであり、楽しいことだと思います。彼らは私を乗り越えていくのです。みなさん!ほんとうにそうお思いになりませんか。私たち程度のところにとまった子どもがたくさんいたらどうしますか。日本は滅びてしまいます。「乗り越えていくこと」「正しく批判し、反撥することはほんとうによいことだと思います。
 「卒業生がいつでも先生、先生と慕ってくれるのが、なによりもうれしい」とか、そのとき、「先生ほど楽しい職業はない」と思うとかいうことばを聞くことがあります。
 私の受け持った卒業生は、「先生のことを忘れない」と言ったこともないし、また私も忘れてほしいと思っています。私は渡し守のような者だから、向こう岸へ渡ったら、さっさと歩いて行ってほしいと思います。後ろを向いて「先生、先生」と泣く子は困るのです。

「教えるということ」:大村はま P69~

 今日の引用はかなり長くなりましたが、知っていて欲しいこと。
 良く「理想の教師像」として描かれているものとしてドラマがありますが、はま先生のこの教えは、ああいった教師像とは全く逆なのではないでしょうか。

 私ははま先生の研究をしていた頃、「3年B組金八先生」というドラマを目にすることがあったのですが(再放送だったのかな?)…
 「卒業しても困ったらここに来なさい。あなたたちは一人じゃない。このクラスメートで卒業後も助け合いなさい」
 卒業後、卒業生を集めた金八先生が「(高校を辞めてしまった元3Bの同級生を)どうして助けてやらなかった!!」と激怒しているシーンを感動的✨な演出でお送りされていて、愕然とした記憶があります。
 これが日本で「良い」とされてきた教師像で学校像なのか…と思うと、「はま先生の思いと逆やん!あかんやん!」と、焦りのようなものを覚えました。
 冷たいようですが、子どもたち一人一人はそれぞれの進路に旅立ってそれぞれ必死に自分の人生を歩んでいるのに、何故過去の一教師が自立を拒み足枷を付けあうようなことを強いるのか…
 困っている人に手を差し伸べるのは大切な姿だけれど、その前に自分の人生の責任ぐらい自分で取って、転んでも自分で立ち上がる力がないなんて状態にしてはいけないのだと思います。
 それこそそんな教育に涙を流して有難がっているような国は、滅んでしま
うのではないでしょうか。

 文句も言われれば、感謝をしてもらうことも多い職業「教師」。
 分かりやすい「ありがとう」の言葉に尻尾を振るのではなく、教え子の「一人前に次を見る姿」「自分に対して正しく疑問を持てる姿」を見守り、見送ることのできる教師でありたいものだと思います。
 学年末に、卒業の時に「ありがとう」と言われる教師よりも、その子が大人になった時に教師の教えがじんわりとその子の血肉になっている教師に…学園ドラマごっこの一部ではなく、本当の意味での「有難い教師」になれるように…
 教師は教え子の先の未来を意識して見つめていけたらいいのかな?と思います。

…ちなみに、こんな風に言われているはま先生でしたが、高齢になられてからも、お住いの地域に雪が降るとかつての教え子たちが雪かきに来てくれたり…と長く愛された先生です。
 「先生、助けて」と卒業後も言われる教師より、一人前になった教え子に「先生、助けてあげられることがあるよ」と言ってもらえる教師の方が人をきちんと育てたんだと思えませんか?

今日はここまで!
最後まで読んでくださってありがとうございます。
ではまた明日…

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