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ちょっとだけお盆な話

今日は鍼灸の日だったので行ってきた。ここの先生は知る人ぞ知るというか、ご本人曰くとりあえず病気という病気の患者さんほとんど診たと思うとおっしゃる。余命2ヶ月と診断が出た肝臓○んの患者さんが4ヶ月で寛解しちゃった話はすごかった。なので私も、大船に乗ったつもりでせっせと通っている。

もとへ。今日は先生の一番弟子先生が診てくださって、お舅さんと義理のお兄さんがなくなられた時の話などしてくださった。流れで私も、大好きだった祖母がなくなった時のことを話した。もう16年も前のことだ。祖母は早逝した両親の代わりに私を育ててくれた人で、子供の時は気づかなかったけれど、歳をとるにつれて祖母+母代わり+人生の師匠的存在であった。そんなわけで、その彼女が旅立った時の自分の痛みったら半端なかった。
告別式で号泣、号泣というかあれはもうおたけびというかお棺にむかって吼えてた感じ。吠えまくって声が枯れて胸が焦げて詰まったように痛くてうつみたいになったり、それでも日々は容赦なく刻々と流れていくので、ひとさまから様子を伺っていただいた時に泣かずに話せるようになるまで、、さあ、3年ほどかかっただろうか。

人前で泣かなくなってからも、祖母が夢に時々現れて、夢の中ではまるで今も元気で生きていて一緒に楽しく過ごして、ある瞬間ふっと私は気づいてしまう。「なんでよ。おばあちゃん、もうこっちにいないやん」とか半泣きで言うと彼女もふっと悲しそうな表情になったところで私は夢から覚めてしまう。逢えて超嬉しい楽しい。でもそれは束の間のまぼろし。そしてまたぽろぽろ泣く。そんな状態が数年続いた。夢を見た翌日は決まって感情の激しいアップダウンがきつかった。

あんなに悲しくて胸が焼け焦げるように苦しくなるのはもうごめんだと思っていたのに、今日鍼の先生と話したのがきっかけであの頃の感情がふっと蘇ってしまった。自分にはまだこの事で泣くほどの消化しきれていない感情があったのか、と思った。施術ベッドの上で背中とおいどをほぼ全出しで泣く自分よ(苦笑)。先生もぷつぷつお灸を据えながら鼻をすする。奇しくもお盆明け。お盆の期間中、特に祖母が来てくれたような体感はなかったけれど、こんな話がお盆明けに出たのも流れだったのかも知れない。

今これを何かのご縁で読んでくれている人たち、まとまりのない話でごめんなさい。でももし、あなたが最近かけがえのない誰かを失くしてどうしようもない悲しみを抱えてときたま胸が焦げるような日々を過ごしているなら。ひとりじゃないよ。好きなだけ泣いていいよ。堪えないで。そして、その痛みはすこしずつ長い年月をかけて薄らいでいくことを心に留めておいて。そして、そのかけがえのないもうこの世で会うことのない誰かは、あなたの心の中に、瞳のなかに、記憶の中に永遠にいるから。未来永劫、あなたとともに在る。だから、そのひとにしてもらって嬉しかったり素敵だったことを、いつか他の誰かにしていって。そのひとがいないことが虚しすぎて自分のことを適当に扱ってしまいそうな時は、そのひとが大切にしてくれて今の自分がいることを思い出して。

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