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お花畑

【僕のお花畑】
                       

愛菜《まな》が喜びそうなお弁当ができた。
彼女は学生時代にバスケットをしていた体育会系女子。僕と同じくらいの食の持ち主で、弁当箱も同じにした。
「上手くできたぞ」
時計を見たらバスの時間までもう十五分しか無かった。愛菜のお弁当に時間をかけ過ぎて、自分の弁当を作る時間が無くなってしまった。しかも、作ったおかずの七割近くを愛菜のお弁当に詰めてしまい、いくらも残っていなかった。
慌てて、見栄えは関係無く残り物を弁当箱に詰め込み、出来上がった二つの弁当箱を並べて蓋をし、まだ寝ている愛菜を起こしに行った。
愛菜と同棲を始めて二年が経った。学生時代からの付き合でもう五年になる。そろそろお互いの将来を考えて貯蓄も始めなければと思い、取り敢えずお昼はお弁当持ちにする事にした。
いつもは一緒に家を出るのだけれども、今日は朝イチ会議で僕は愛菜より早く出なくてはならなかった。
「おーいっ、愛菜そろそろ起きる時間だぞ」
「あれーっ、翔太、早いじゃん」
「早出だから、一本早いバスにしたんだ。それと、今日からお弁当にしようかと思って」
「そうだねー」
「愛菜の分も作ってあるから」
「えーっ、嬉しい。ありがとう」
愛菜はそう言ってベットから起き上がり、僕の頬にキスをして洗面所に入っていった。
「時間が無かったからそんな大したお弁当じゃないけど」
僕は洗面所で顔を洗っている愛菜に言いながら、二つの弁当箱を各々のランチバッグの中に入れ、
「先に行くから、戸締りとお弁当忘れるなよー」
そう言って僕は部屋を出た。
毎日通っている通勤路でも、なにか新しい事を始めると、また違った景色に見える。今日のお昼、お弁当箱を開いた時の愛菜の笑顔を想像するだけで今日一日が豊かな気持ちになる。
愛菜は笑顔が似合う、でも幼い感じではない。僕なんかより遥かに大人だ。
僕はこの五年間で愛菜のおかげで沢山のことを学び、成長したといっても過言ではない。
愛菜は滅多に怒らない。
居酒屋さんで、鯵を頼んだのにホッケが来ても、ラーメン屋さんで、オーダー漏れしてて、三十分も待たされても、宅配が予定の時間より遅れて届いても、その場で、
「これ、頼んだのと違うよ」とか、「オーダーもれ、無いようにお願いします」とか、「遅れる時は一報お願いします」とハッキリと言うが、怒らならい。また、同じ店に普通に行くし、同じ宅配便のお兄さんにも、普通にご苦労さまと言う。
でも、怒るときもある。
順番待ちしている時の割り込みするやつ、電車で痴漢してるやつ、あおり運転してるやつ、暴力をふるってるやつ、めっちゃ怒る。どんな相手でも本気で怒る。相手構わずなので、危ない時もよくある。
僕にはなんとなく、彼女の怒る、怒らないの違いは分かるのだが、彼女の心の中には、意識して明確な振り分けはないようだ。
これが彼女の不文律で、決して彼女が寛容なわけじゃない。
つまらない事で怒ると、それからの時間がつまらなくなると言う。それは、とても勿体ない時間だそうだ。
自分だけの固執、執着、拘り、そして、恨み嫉み、怒りは、数年、数日、数時間、数分であっても、人生の時間の無駄遣いだと言う。
 彼女は、与えられた限りある命という時間を、楽しく使いたいそうだ。
病気で余命を告げられた人の中には、それまで生きてきた時間より、残りの時間をとても密度の濃い時間を過ごし、旅立った人もいるらしい。
人生には必ずいつか終わりがあるのなら、生きることは、死に向かうことで日々死んで行く事。だから、ほんの数秒先の未来から流れて来る時間は大切に使いたい、と言う
僕はそんな彼女の生き方をリスペクトしている。
昼休み僕は持参した弁当箱を机の上に置いた。自分の弁当は正直に言って人に見せられる様な弁当ではない。残りのおかずをご飯の上に載せて来ただけの、全く見栄えのしない弁当だ。
僕は、部屋の社員たちが出かけて行くのを待っていたら、スマホにメールが入ってきた。愛菜からだった。きっとお弁当に感激してのメールだと思った。

あのさー、私、翔太のいつも正直なところ、すごく好きだよ
でもさー、いくらたいしたもんじゃ無いって言ってもさー
あまりにも、たいしたもんじゃ無さすぎだよー
女子にこのお弁当はかなりキツイかもだよ

写メも一緒に送られてきていた。
僕はそれを見て、慌てて目の前の弁当箱を開けてみた。
やってしまった。自分のお弁当と愛菜のお弁当を間違えてしまった。

ごめん、間違えた。
こっちが、愛菜のお弁当のはずだったんだ。
僕は直ぐに目の前のお弁当の写メを愛菜に送った。

わー、凄く美味しそう、
そのお弁当、食べたかったなー
私のお弁当箱には、ドラえもんのシール貼っておくから、今度は間違えないでね。
明日はお休みだから、
私が翔太のお弁当作ってあげるね

そう返信が来た。 愛菜は、怒らない。
怒りの感情を抱くのは自分ではなく、僕が僕自身に対して抱いていることを知っている。だから、僕を責めない。僕を責めるのは、僕自身だ。

いつもはみんな昼食は社外にでかけるのだが、何故か今日はみんな社内販売されているお弁当を買って戻ってきた。
僕がスマホを見ていたら、同僚が近づいてきて、僕のお弁当を覗き込んだ。
「余市さんの弁当すげー。お花畑みたいだ」
大声で言うんもんだから、人が集まってきた。
「そう言えば、余市くんは彼女さんと同棲中だったわよね」
僕の上司が言うと、こんどは後輩が調子に乗って僕の後ろから覗き込んできた。
「こういうの愛妻弁当っていうですよね」
「ちがうわよ。まだ同棲中だから愛情弁当って言うのよ。」
「愛情のお花畑弁当、いいなー。この卵焼き、白と黄色がマーブル模様になって、美味しそうっすね」
僕は、自分の失態に食欲が無くなっていて、「欲しければ、食べてもいいよ」と言ってしまった。もともと自分のために作ったお弁当じゃ無いし、喜んでくれる人がいるなら、それでもいいと思った。
「すげー美味いっす。」
後輩の大声に僕の周りは人集りにった。
「おれ、腹減ってないんでどうぞ」
僕のスタート合図で、食欲にまみれた遠慮のない猛獣達によって、お弁当は半分以上が無くなっていた。

帰宅途中、愛菜からメールがきた。

明日のお弁当、おかず何がいい?
買い物して帰るから、リクエストあったらメールちょうだい

愛菜のきんぴらごぼうがいい
と返事をした。 直ぐにまたメールがきた。

けっこう、手間かかるんだよね
今晩から取り掛かるから
ごぼうの皮むき手伝ってね
他に何かある?

きんぴらごぼうだけでいい
お弁当箱
一杯にお願いします

彼女の作る、祖母から母、そして母から娘へと受け継がれてきた代々秘伝のきんぴらごぼうは絶品でとてつもなく美味しい。 甘辛く味付けされたきんぴらごぼうとご飯があれば、何もいらない。他の全ては至福の時間を邪魔する不協和音でしかない。 その晩、僕は約束のごぼうの皮むきを手伝い、先にベッドに入ったが、愛菜は遅くまで台所に立っていたようだった。 
翌朝、僕は愛菜の作ってくれたお弁当箱を持って出社した。
昨日のこともあって、昼時の部屋の中が怪しい空気になっていた。僕がお弁当箱を机に出した瞬間、皆僕に視線を集めた。でも僕は早く愛菜の作ってくれたお弁当が食べたくて、視線を無視してお弁当箱の蓋を開いた。
「あれー、お花畑じゃない。余市さん今日は愛情弁当じゃないんですねー」
僕の後ろから覗き込みながら後輩が声を上げた。
また、昨日程では無いが何人か集まってきた。
「あー、ホントだ。彼女さんと喧嘩でもしちゃったんですか?」とか、「なんか今日のお弁当は茶色いですね」とか、「今日は自作弁当なんですね」などと、勝手な事を言い出した。
暫く、目を閉じて聞いていたが、
「ごちゃごちゃうるせーよ。これはなー、俺の好みを分かってる最高の彼女が、俺のために一晩かかって作ってくれた、世界に一つしかねー最高の弁当なんだよ。頼むから、大人しく食わしてくれよ」
怒鳴ってしまった。まだ、まだ僕は子どもだ。愛菜には追いつけない。

帰宅して、愛菜に全てを話した。「翔太の、そういう正直なところ、凄くいいと思う。大好きだよ。この弁当は自作なんだ、なんて嘘を言う翔太だったら、とても悲しくなる。翔太は翔太らしくいて欲しい」
「そうかー、いいんかなー」
「いいんだよ。それよりさー、怒鳴ったあと、しばらく怒りの気持ち引きずっちゃったの?」
愛菜は両手で頬杖をついて僕の顔を覗き込んできた。
「それがさー、愛菜のきんぴらごぼうを口に入れた途端にさー、あまりの美味さに、どうでも良くなっちゃって、一人笑顔になってた」
「良かったじゃない。私の魔法のきんぴらごぼうのおかげだね」
そう言いながら愛菜は笑い、 僕の目の前にはお花畑が広がっていた。

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