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鶏そば

『鶏そば』

    子供たちは元気してるかなぁ…
 好き勝手言って、全てをあなたに押し付けて飛び出してもう十年になるのね。
「一度きりの人生まだまだやりたい事があるの。世界で自分を試してみたいから、暫く日本を離れてもいいかなぁ」
 こんな私の我儘に、あなたは予想通りの返事したわ。 私はずるいの、あなたが反対なんかするはずないこと、わかってた。あなたは優しいから。知り合った頃から、あなたは私の決めたことには反対したことがなかったわね。
「君が決めたんだったら、いいんじゃない」
 私が失敗しても、
「いいよ、大丈夫」
 優しくて、すごく心の広いひとなんだなぁ、って思った。
 許すことって優しさの一つだと思うんだけど、それだけではだめね。あなたの優しさは私を我儘にしてしまったの。あなたは気がついていなかったと思うけど。
 もちろん、怒られたり、反対されたりするのは嫌いだから、私はそんなあなたの偏った優しさに甘えていた。
 だからこんな私にしたのは、あなたのせいよ。悪い人だわ。

 なんてね、嘘よ。
 でも、あなたって本当に優しかったのかしら。もしかして実はわたしに無関心だったりして……
 あらっ、私とても失礼なことを言ってるわ、ごめんなさい。今こうしていられるのはあなたの理解があってこそなんですものね。そう、あなたはどこも悪くはないわ。
 悪いのは我儘な私。
 えっ、ちょっと待って……
このままじゃ私だけが悪者になちゃうわ。少しだけ自己弁護させてくださいね。

 いま、あなたは幸せですか?
 いま、子どもたちは幸せですか?
 そして、私は幸せ?

 何が幸せ? 
って言われたら難しいけど、あなたも子供達も不幸ではないようですね。たまにくる子供達からのメールでわかります。私も、この十年仕事に追われながらも毎日が充実してた。そう、だから今の私は不幸ではないわ。
 この混沌とした世の中で、不幸ではないことは、幸せなんだと思うの。だから、誰も悪くないの。
 かなり自分都合で虫のいい話だわね。

 子供達にとって、十年も母親が側にいてあげられない寂しさのフォロー、あなたにはとても感謝してる。
 側にいたところで、何一つ母親らしいことは出来ないんだけどね。
 誰一人悪者を作らなかったあなたは、やっぱり世界一優しいのかも。

 今だって、子供たち二人のことはとても大好きよ。忘れたことなんかないわ。こんな私だって母性はあるのよ。
 こんな私……
ってどんな私かしら。自分で言うのもなんだけど、本当に私、家事は何も出来なかったわよね。いつも優奈に助けられてた。

 初めて優奈に会ったのは、彼女が八歳になったばかりだった。とても笑顔の可愛い子だった。今でも忘れないわ。初対面の私に、
「おとやんの選んだ人なら、きっと私も好きになれる。ねぇ、ねぇ、早希さんはおとやんのこと大好き?」
「えぇ、大好きよ」
 そしたら、優奈ったら満面の笑顔で
「良かった、わたしもおとやん大好き。おとやん大好きな人は皆仲良くなれるんだよ」
 そして、私に抱きついてきた。びっくりしたわ。
 彼女の屈託の無い笑顔と人懐こさのお陰で、直ぐに仲良くなれた。大人と子供を忘れて、友達みたいに何でも話したわ。
 たまにね、二人してあなたの悪口を言って、盛り上がったりもしてたのよ。知らなかったでしょう。
    それから、私は妊娠した。悪阻が酷くて、家事が何も出来なくて。もとから家事なんて出来なかったんだけどね。でも優奈がよく家の用をしてくれたわ。
 私と違って、いやいやで、しようがなくてやるのと違うから、部屋の掃除から洗濯、そしてお料理まで、優奈はとても楽しそうに、そつ無く家の用をしていたわ。おかげで私は、無事に優太を出産できた。

 出産から間もなく、あなたの地方紙のコラム記事の収入だけでは生活が苦しくて、私はパートのかけ持ちをして働きに出た。自分で言うのもなんだけど、本当によく働いたわねぇ…
 その間優奈は、あなたと優太の世話を見てくれてた。そして、私の世話も。 私が仕事を終えて夜遅く帰ってきても。優奈は起きてきて、私の大好きな鶏そばを作ってくれた。
 あー食べたいなー
 鶏の出汁と程よい塩加減、具はささみと白髪ネギだけ、夜食には最高のサッパリ、シンプルな鶏そば、とても美味しかったわ。

 優奈のなんでも、そつなく家事をこなす姿は子供には見えなかったわ。時々錯覚する時があった。私も優太も優奈の子供じゃないか……なんて。
 優太も、お姉ちゃんの優奈のことはとても慕っていたわね。当時はまだ中学生の優奈だったけど、優太と一緒にいるところを見ると、私以上に親子に見えたわ。

 あなたの、収入も安定してきて生活もだいぶ余裕が出てきて、私はパートを辞めて専業主婦になった。
あなたは私に
「仕事に追われる生活だったから、これからは子供達と一緒の時間をたくさ作れるといいね」
 なんて言ってくれたわよね。嬉しくて、最初の頃は毎日が楽しかった。でもね、段々と苦痛になってきたの。
 原因はいくつかあった。
 家の中の私は、仕事をしてるときの私と別人で、全くの無能人間なような気がしてた。それと、受験勉強をしながらでも家の用を完璧にこなす優奈に嫉妬していたかもしれない。
 いいえ、嫉妬の相手は優奈じゃなくて、優奈の所作に見え隠れする彼女の本当の母親だったと思う。あなたが優奈と話しているのを見ると、あなたと生前の奥さんが話しているように見えることがあったわ。

 自分の居場所がなかった。あの頃、自分はなんの役にも立たない存在だと感じてしまったのね。優しいあなたと可愛い子供たちに囲まれて何不自由ないのに、私はこのままではいけない、なんて思ってしまったの。

「君の決めたことなら、そうすればいい」
 想定内のあなたの答えに、私は即決して翌朝に空港に向かった。
「行かないで欲しい」
 もし、あの日にそんなことを言われたらどうしたかしら。それでも私は旅立ったわ。多分、あなたの愛を確かめたかったんんだと思う。

 愛って、許すこと?
 それとも縛ること?

 ひとの心って、難しいわね。

 あのね、
 そろそろ帰りたいの。勝手に出て行って、今度は帰りたい、だって。
 私って、本当に我儘ね。普通なら、「いい加減にしろ。帰ってくるな」だと思う。でも、あなたは違うわ。私にはわかる。だって、 絶対にそうだもん。

 みんなに会いたいなー。
 あなたのように、見守る愛、こんな愛し方もあるのね。今ごろ気がつくなんて。
 まだ間に合うかしら。
 
 私はたくさんの言い訳を飲み込んで、十年ぶりに玄関のドアを開けた。

「ただいま、お腹すいた」

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