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世界のどこにいても

人は生まれて来た時、ある課題を持って産まれてくるんじゃないかとも言われています。その課題が本当の意味で肚に落ち、成長するとその課題はもう目の前に現れなくなるとも。

嫌なことより好きなこと考えるほうが、過ぎて行く毎日はあっという間だから、好きなことを考えるほうがずっとずっと良いのです。嫌なことを考えてる間に人生の終わりが来るのもな.....と思ってしまいます。

人生の課題があるならば、私は苦手な人に対してどう対処していくのか。
これに尽きると思います。

真っ向勝負してこてんぱん、逃げてもしがらみが解けない。
逃げたとしても、また同じような人が現れる。

私は海外のゲームで色んな国の人と知り合うことが出来ました。
そこに所謂フレネミー体質の人が現れて私が入っていたコミュニティは乱れました。
フレネミーは日本人の人です。その人は人間関係をバラバラにするのがとても旨かった。

そんな混乱の中、私は手術になり意識が低下してほぼ半年そのゲームには行けませんでした。リハビリしながらふと戻ってみると、コミュニティの半分の人のフォローは既に外されてしまっていました。
変わらず温かい対応をしてくれるフォロワーさんが救いでした。でもあとの半分の人には無視し続けられています。

「海外の人でも、またこの課題が来るのか」

私はある意味覚悟のようなものを感じました。
フレネミーの人は元気にフレネミー活動をしている。

ゲームを辞めるのは簡単です。それに身体が第一ですから無理など出来ない。
コミュニティは寂しいですが、もう私への信頼が消えてしまったのなら仕方ありません。

若い私ならその嫌な人に毎日イライラして気にしていたでしょう。
今も気になるのは気になります。でも本来そのゲームはインテリアをコーディネートして好きな部屋をデザインするゲームです。

フレネミーの人はフレネミー活動にいっぱいいっぱいで肝心のデザインが出来てません。それじゃ楽しくないんじゃ?と思うのは私の信条で、フレネミー活動自体が楽しくてやっているのかもしれない。

人は完全に分かり合えると思い込むから不和を生むので、理解なし合えないものだけど尊重するよっていう姿勢が大事ですよね。

混乱してしまったコミュニティは変化したのであって誰かのせいにしても仕方ない。

私の課題はいま乗り越えられるからココに来ている。

そう思うことにしているのです。これからも人生を生きていくと決めたのだから。

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