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自分のキモさを許容したい。

正直になることの難しさを常に痛感する、私はどうしたら正直になれるのだろう。

今みたいに自分自身の文章を書いている時、自分の気持ちを100%届けたいと思っていてすら、どこか着飾って、格好をつけてしまう。

それは、自分の見栄から来るものか、それとも批判を潜在的に恐れているのかは分からない、どれだけ道化を演じていても、一定のラインで正直になれない。

プライドや見栄との付き合いはなんとも難しいものだ、捻くれ者の私は通常よりもなお難しい。

思えば子供の頃からそうだった、小学生の段階で、当時流行っていたポケモンや妖怪ウォッチは子供向けでダサいと思っていたし、実際遊んでいた同級生を心のどこかで馬鹿にしていた。

アニメに関してもそうだ、深夜アニメを私は好きだったが、友達の目を気にして、アニメが好きだと誰かに打ち明けた事は殆どない、それどころか自分もアニメ好きでありながら、アニメ好きを公言している同級生をやはり、内心キモオタクだと馬鹿にしていた。

私の頭に浮かんでいるキモオタクだと思っていた彼、確かにキモオタクだったのかもしれないが、楽しそうだった、夢中になれる趣味を知っていた賢い人間だったのだろう。

私の人生、キモオタクを馬鹿にし、運動部を馬鹿にし、明るいやつも、暗いやつも馬鹿にした、だが結局そんな私に残ったのは己の気持ち悪さだけだった。

私が馬鹿にした彼らには気持ち悪さと共に、他の物も手に入れていた、趣味、仲間、身体能力、精神力、忍耐力、だが全てを否定し続けて結果残ったのは、ただ気持ち悪いだけの私だった。

趣味も身体能力もコミュニケーション能力も、孤独に耐えれる忍耐力も、何もかも私には存在しない、あまりにも愚かすぎて、死ねばいいとすら思う。

全ては自分が気持ち悪い事を許容できなかった、プライドたっぷりの幼稚な精神性にある、心の底からそう思っていても、未だに無駄な格好をつけてしまうのだから、やはり一度くたばらなければ直らないのかもしれない。


このまま生き続けて、何も変わらなかった先にある、プライドだけ高い頑固ジジイの自分には、早くくたばれと伝えたい。



読み直して気がついたが、こんな文を書いている時点で自分の気持ち悪さを許容出来ていないと感じてきた、性格が最悪、終わってる。

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