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十人to色

十人十色。人の意見や考え方はそれぞれであって、自分の”当たり前”を人の”当たり前”だと思うのは間違っていると日頃感じる。

私個人の話になるが、生まれ育ちは日本ではないし、複数の文化が混じり合った育ち方をした。(もっと細かく言えば、中国、日本をメインに西洋文化も程よく混じった感じ。)そういった文化を吸収してきたからこそ、「十人十色」っていうのが小さい頃から頭の中に確固として刻み込まれている。色んな考え方、ルールがあって当然だ。ちなみに、出身や故郷などのアイデンティティを問われる時に毎回少し複雑な気持ちになる。特にマイナスな気持ちになるわけではないが、答えづらい。まあまあの転勤族だったが故に、生まれはそこでも、その一つの場所だけに強い思い入れがあるわけではないから。

私のバックグラウンドやそれに伴うアイデンティティを知り尽くしている友人は、例えば日本の文化やルールについて知らなくて、何かと聞いたら、丁寧に説明してくれる。心の底からありがたいなと思ってます。
もちろんそうでない人は沢山いるわけで、「知らない」というと、目を真ん丸にしてものすごい形相で驚かれたりすることはよくある。正直、逐一に「自分はこういうバックグラウンドを持っていてこういう人間だから」と説明するのも面倒というか、聞く側も「複雑だね」ってだけで終わるんじゃないかと思ってしまう。私の身になって!と言いたいんじゃなくて、日本のグローバリゼーションは既に進んでいるし、文化は複雑になっていく。人も複雑になっていく。そんな世の中で、これから色んな人と会う時に柔軟になれるようになった方がいいとは思う。ここで違うと思ってしまうのが、冒頭で話した、”当たり前”を人の”当たり前”でもあると勘違いすることだ。確かに、日本にいるし私は見かけでも「日本人」(らしい)し、国籍も日本人ではあるんだけども。この世はもっと複雑なんだよ、とか上から目線な事言えないし、ましてや「視野が狭い」と思っても、争いは避けたいので何も言わずにいることが多い。自分のモヤモヤは溜まる一方。笑
でも、「私」という人間に会って、その人の視野を広くさせることができるなら嬉しいし、力になりたいって心の底から思う。

ここでは、文化のたった一面に触れたけど、文化もアイデンティティも思っているより複雑で、人はそれぞれであることを最後に述べたい。

多様性を尊重する社会になりますように。

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