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【第15回】朝井まかて 著 『恋歌』

今回は、明治の歌人、中島歌子の前半生とその終わりを描いた朝井まかて氏の小説、『恋歌』を紹介します。

江戸の豪商から水戸の武家へ

和歌と書を教える私塾「萩の舎」を主宰し、明治時代の上流・中級階級の子女を多く集めて成功した中島詩子は、樋口一葉の師匠として知られています。
時代の寵児となり多くの門人を従え、妻子ある恋人との恋愛を謳歌するなど、自由奔放に生きていたかのように見えた彼女は、その前半生、それこそ時代の潮流に飲み込まれ、酸鼻を極める体験をしていました。

彼女の本名は中島登世。江戸で商いをしていた両親を通じて水戸の藩士と見知ることになり、多くの縁談を断りながら水戸藩士・林以徳と恋愛結婚しました。
豪商のお嬢様から武家に嫁いだ彼女は、多忙でほとんど家に帰らない以徳を待ちながら小姑のてつと一緒に暮らしますが、どうも武家、しかも水戸におけるその暮らしは質素なもので、贅沢に慣れた登世には馴染めないことばかり。

しかも、質実剛健なてつとは打ち解けることができないことはおろか、一挙手一投足に小言をつかれてしまう始末で、登世の孤独は深まるばかりです。

天狗党の挙兵と内乱の勃発

登世の夫、以徳は、尊皇攘夷の急先鋒、天狗党の志士でした。
しかし情勢の変化を冷静に見つめていた以徳は、水戸の列侯亡き後、その意を継がんとする武田耕雲斎が束ねる尊攘派と、藩主徳川慶篤を支える保守門閥派の諸生党との対立が深まると、第一にその対立の溝を埋めて水戸藩内をまとめることに奔走します。

一方で、同じく天狗党で意気を盛り立てていた藤田東湖の四男・小四郎が、以徳の制止を聞かずに筑波山で挙兵、クーデターを画策するも失敗。
その後、尊攘派はその内部の微妙な思想の違いを理解されることなく、一絡げに「天狗党」とされ、その妻子も逆賊として投獄されてしまうのでした。

天狗党の辿った道

天狗党の志士達がこの後辿った道については、本作では描かれていません。
その妻子たちが諸生党の手により捕縛され、なんの情報を得ないまま、自分の夫がどこで何をしているのか…生きているのか、いないのか、判らぬままに過ごす獄内での生活。
一人また一人と、処刑され、または病死していく一方で、新たに投獄される者が入れ違いでやってきます。
登世はここでの過酷な日々を、てつと共に何とか生き長らえるのでした。

天狗党の辿った道については、他に吉村昭氏の長編小説『天狗争乱』を読んでいます。こちらも涙無くしては読めない骨太の傑作でした。
いつか紹介できたらと思います。

明治での邂逅

物語は王政復古からの明治維新を迎え、その後明治36年の登世あらため歌子の最期の時に繋がります。
ここで描かれる二人の門人たち。歌子の手記をもとに明かされる、明治での邂逅とその決着がこの作品の見どころですが、こちらはぜひ作品を読んでいただきたいです。

水戸学に発した尊皇攘夷の思想、そしてそれに突き動かされた志士と、国体との対立。
武士とは何だったのか、人々は、何に命をかけてきたのか。
明治の人となってから己れの来し方を振り返る歌子ですが、その問いの根幹にある、「なぜ大切な人を失わなければならなかったのか」という純粋な思いは、時代を経ても読者の心の鐘を鳴らすものがあります。

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