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私の「私のはなし部落のはなし」

2022年6月から7月にかけて、Twitterに投稿したツイートをまとめました。
ツイートの内容をそのまま転載しました。
Twitterは1記事144文字以内の制限がありますので、短文の羅列になります。ご容赦ください。

--00 2022.06.17
この映画を観た。

長いことこの問題をウォッチしてきた。
時代は変わってるな。私のなかで、やっとこの問題が解決する方向を確認できた気がする。

大げさだけど、これで安心してこの問題を次世代に委ねることができる。光明は見えた。

#私のはなし部落のはなし

映画「私のはなし部落のはなし」

--01 2022.06.18
この映画を観てから、この問題を自分の中でどう考えればいいのか、一週間くらい考えた。かれこれ40年以上ウォッチしてきたので、自分の考えを整理したかった。

活動家や熱心なウォッチャーが集う某SNSで意見交換もしてみた。

時間を見つけて、おいおい記していく。

#私のはなし部落のはなし

--02 2022.06.18
私は東京育ちで、近所に近世から続く被差別部落はなかったが、戦前有名だったスラムの名残があり、また祖母が戦後一時期身を寄せた都内某スラムの話は、祖母からよく聞かされた。

スラムは部落ではないが、昭和の同和施策でスラムが部落にされた地域は各所にある。

#私のはなし部落のはなし

--03 2022.06.18
高校は地元の進学校で左翼運動が盛んで、私が入学した頃、その名残りで解放研もあった。学区内に被差別部落はないのに。

メンバーのひとりである友人は部落解放運動がやりたいと、奈良県立医科大学に進学した。

そんな若者がそれほど奇異な存在ではない時代だった。

#私のはなし部落のはなし

--04 2022.06.18
ここまでの話のポイント:

・部落問題の「部落」とは、近世から続く被差別部落や、そうではないのに戦後の同和施策で指定された「部落」など、いろいろある

・70年代の若者の心をつかんだ「解放運動」が、時代を経て別次元の運動に変容していく

まずこの2点。

#私のはなし部落のはなし

--05 2022.06.18
映画館は渋谷。久しぶりに渋谷に行ったなー。

↓これ駅前、ハチ公口。

映画館は道玄坂裏の思いっきりラブホ街にあるけど、ちょっと歩けば、渋谷区松濤という楽天三木谷邸がある町や、渋谷区大山町というユニクロ柳井邸のある町もあって。

まー、ごちゃまぜだわ(^^)

#私のはなし部落のはなし

渋谷駅ハチ公口

--06 2022.06.18
ここでポイント

・渋谷区松濤という楽天三木谷邸がある町:
いいなー、高級そう、好き

・道玄坂裏の思いっきりラブホ街:
やだねー、ガラわるそー

こうした土地に関する好悪の感情は、人間の普通の感覚であって「差別」ではない。

ここ、勘違いしている方々が多い。

#私のはなし部落のはなし

--07 2022.06.18
大学に入って最初に驚いたのは、関西人の存在だった。

私は東京生まれ育ちで関西弁には接する機会がなかった。生まれて初めてナマで聞く関西弁はカルチャーショックだった。

そして少し後、関西にはもっと強烈なカルチャーショックがあることを知った。同和問題だ。

#私のはなし部落のはなし

--08 2022.06.20
八鹿高校事件は1974年。事件の概要は、私と同じ高校に通った姉から聞いていた。

大学に通ったのは、70年代後半から80年代前半。同和対策事業として、巨額の税金が既に10年以上にわたり全国の同和地区に投入されていた時期だ。

#私のはなし部落のはなし

--09 2022.06.20
関西出身の友人から聞く話は、同和をめぐる「不気味な闇」の噂ばかりだった。部落解放の情熱とロマンあふれる話は、まったく聞かなかった。

八鹿高校事件も含め、実際の現場を知らない私はどうしても「部落」を見たかった。そんな気持ちをくすぶらせたまま社会人になった。

#私のはなし部落のはなし

--10 2022.06.20
ここまでの話。

高校、大学時代まで。これから社会人編。

144文字以内のまとめるのは難しい。ブツブツ記事で断片を読んだ方は??だろうなぁ。

でも、このまま続ける。おいおいと。

#私のはなし部落のはなし

--11 2022.06.20
ところで

70年代後半、青山学院で後のサザンが「温泉あんまももひきバンド」とフザケた名前で活動していた。

名前はフザケてるが才能はスゲーと知った私は、どうしてもそのバンドをナマで見たかった。

どうしても見たいのは部落も同じ、「差別を助長する」気持ちはない。

#私のはなし部落のはなし

--12 2022.06.21
関西出張で最初に出迎えてくれるのは、新大阪駅手前、日之出地区の公営住宅に掛けられた黄色い垂れ幕だ。初めて見たときは強烈だった。都内では見ない光景だった。

会社では顧客担当の業務についたが、関西出張の機会は少なかった。少ない機会を利用して部落を訪れた。

#私のはなし部落のはなし

--13 2022.06.22
訪れたのは京都市、大阪市、神戸市など。皮革生産地も見たくて、姫路市、川西市、龍野市もまわった。時間がないので交通便のいいところに限られた。

京都市内で某所に夜タクシーで行こうとしたら、運転手に「あそこは行かない方がいいですよ」と言われたこともあった。

#私のはなし部落のはなし

--14 2022.06.23
私が見たのは、大阪市内の高層公営住宅群であり、京都市内の低層公営住宅であり、皮革産業地帯の工場群だった。

大阪市内や京都市内の地区では、かつての劣悪な住居環境は既に改善されていた。皮革工場の町は産業自体が廃れつつあり、閉鎖された工場が多々あった。

#私のはなし部落のはなし

--15 2022.06.24
阪神淡路大震災の発生は1995年。地震の前後に神戸出張が数回あり、番町地域はこの時期に歩いた。

長田駅の近くで住宅密集地域が一面焼け野原になったのを見たが、これで永年解決不能だった土地建物貸借関係がゼロクリアされた、との声も聞いた。

#私のはなし部落のはなし

--16 2022.06.27
余談だが、関西にはもう1つカルチャーショックがあった。なんばグランド花月で吉本新喜劇を生れて初めて観た。これは笑撃だった(^^♪

当時、東京のテレビでは見ることができなかったから新鮮だった。池乃めだかを初めて知った。

浪速地区を歩いたあとに行った。

#私のはなし部落のはなし

--17 2022.06.28
ここで復習。

部落問題の国家対策は、
・1969年:同和対策特別措置法 に始まり、
・1982年:地域改善対策特別措置法 と継続し、
・2002年:法案が期限終了
この33年間で国家予算15兆円が投入された。

私が地区を歩いたのが、1990年代前半から2000年代前半くらいまで。

#私のはなし部落のはなし

--18 2022.06.29
「劣悪な環境」は、大阪市や神戸市などでは高層の、京都市では低層の公営住宅が並ぶ街に変貌した。

こうした環境整備は1970年代から80年代前半に行われたが、どのようなプロセスを経て改善されたのか、私は実際を見ていない。

多くの人も知らない。50年も前の話だから。

#私のはなし部落のはなし

--19 2022.06.30
住宅密集地を再開発してマンションを建設する事業を見るとよくわかるが、建設プランの検討や住民の利害調整に多大な労力と費用がかかる。

同和事業では、各地で大規模かつ広範囲にこの事業が集中して行われた。その労力がいかに大きなものであったかは想像に難くない。

#私のはなし部落のはなし

--20 2022.07.01
2003年法律が期限終了すると、運動団体の不祥事が次々と表面化した。飛鳥会事件、奈良市不正受給事件、八尾市入札妨害恐喝事件など。

運動団体幹部による横領・不正・恐喝で、暴力は以前から指摘されていたが、この時期からは金銭目的の不祥事が加わった。

#私のはなし部落のはなし

--21 2022.07.02
飛鳥会事件などの不祥事はWikipediaで正確に語られているし、他の不祥事もYoutubeにたくさんある。

かつての暴力事件は「熱心さのあまり」と、弁解の余地もわずかにはあったが、この時期以降の不祥事は、暴力と恫喝に加え詐欺横領であり、弁解の余地は1ミリもない。

#私のはなし部落のはなし

--22 2022.07.04
一連の不祥事は、差別と闘い「劣悪な環境」を克服した方々の「汗と涙」を、「暴力恫喝横領詐欺」に置き換えてしまった。

「劣悪な環境」と「汗と涙」を知らない世代には、「部落=運動団体=暴力恫喝横領詐欺」が、部落問題の初期値として設定された。

#私のはなし部落のはなし

--23 2022.07.05
運動団体のダーティなイメージが広く社会に浸透したが、「劣悪な環境」と「涙と汗」を熟知する「識者」は違った見方をする。

たとえば橋下徹。のちに運動団体との関係は悪化するが、そうなる前の発言をWikipediaから省略せずに引用する。次のツイートに続く。
#私のはなし部落のはなし

-24 2022.07.05
橋下徹: 「いわゆる同和地区で育ってきた。都道府県の知事のなかで同和問題について一番知り尽くしていると自負している。」

「部落解放同盟が利権や暴力だということを言い切られることでありましたら、これは私の今までの法律家としての感覚からすれば、
-
全く証拠も根拠も何もないことでありまして、それは私も確かにそういうつながりがあるところも知っております、そういう事件があったことも知っています。

ただし、そういうことがなく、本当に同和問題の解決に取り組んできたということも知っております。
-
一面的な側面をとらえることなく、きちんと、解放同盟の活動を真摯に見ていただきたく思います」

「解同にしても、飛鳥(会事件)小西さんや、八尾(恐喝事件)のM(丸尾勇)さん、ああいう人が行政に働きかけたから声が届いたというプラス面もある」 (引用終わり)

#私のはなし部落のはなし

--25 2022.07.06
「劣悪な環境」と「汗と涙」を熟知する方、もうおひとかた。宮崎学。

京都市の同和の闇を知り尽くした男。彼が運動団体の一連の不祥事を解説するとこうなる。

インタビュー記事を以下に要約する。(出典:同和利権の真相の深層)

-
「1969年同和対策特別措置法は、社会全体が部落民に与えた特権」。

「長年の差別により、部落民はほかと同じ条件でやってもできない、だから特権を行使しないことには這い上がれない構造だった。」

「その構造を国民が認め、彼らに特権を与えた」それが同和対策特別措置法。
-
「部落に特権をあたえたのは、世間や社会がこれまで差別してきたツケを払ったということ。」

「世間や社会が「ツケを払いますわ」ときたから、差別されてきた側は「ツケを払ってもらうのは当たり前。そなら払ってや」と受け取っただけ。これが実態。」
-
「特権に利権はつきもの」

「同和利権は、こうした世間と部落との関係に起因する。」

「部落の「人権マフィア」が差別をネタに行政を強請(ゆす)って利権をむさぼって善良な市民の税金を食いモノにしてきました、なんていう映画の筋書きみたいな話じゃない。」
-
「部落解放運動は、地域・職業丸抱えで、相互扶助的な組織で行うから、ドロドロした要素、つまり利権もヤクザも内にかかえこみながら処理していかないといけない。」

「市民運動のような、きれいごとの運動体とは根本的に異なる。」

#私のはなし部落のはなし

--26 2022.07.07
ここまでは、1969年の同和対策特別措置法以降、33年間で15兆円の税金を投入し、「劣悪な環境」は改善されたが、運動団体による数々の不祥事が起きたところまでを振り返った。

ここからは、ネット時代をむかえ、この問題をどう考えるのか、記していこう。

#私のはなし部落のはなし

--27 2022.07.08
ところで、1995年の阪神淡路大震災はインターネットが普及する前だった。

私が初めてインターネット上の動画を見たのは、会社にあった接続試験用のPCで、画面に映るのは、番町地区の火事のライブ映像だった。

それからまもなく、その現場を歩いた。焼野原だった。

#私のはなし部落のはなし

--28 2022.07.11
では、まず根本的なところから。

部落民とは何か?

答え:いません。そんなひと。

部落民という民族や人種がいるわけではなく、仮に明治時代以前の血縁が確認できたとしても、1世紀以上たてば生物学上の系譜に意味はない。

この点が在日問題やLGBTとは決定的に違う。

#私のはなし部落のはなし

--29 2022.07.12
では、部落民は誰か?

結論から言うと、基本、部落民かどうかは自分が決める。自分が部落民であると主張すれば部落民になれる。

部落民という実体が存在しないので、真偽の証明のしようがない。

この点も在日問題やLBGTとは決定的に異なる。

#私のはなし部落のはなし

--30 2022.07.13
親が部落民なら子も部落民、と思い込むのがナンセンス。

部落民は遺伝しない。親から、周囲から刷り込まれる。そして自分で思い込む。

自分自身で信じ込んでいるなら、早く「きつねつき」から解かれたほうがいい。

それくらい馬鹿げたことで、ナンセンスのきわみ。

#私のはなし部落のはなし

--31 2022.07.14
「怪しい」出自でも言い張れば部落民になれる。「要件」が必要ならあわせればよい。本籍地は自由に移せるし、祖先の身分なんて確認のしようがない、何とでも言える。

そこまで主張すれば誰も疑わない。「言ったモン勝ち」。

そのくらい「いいかげんな」ものでしかない。

#私のはなし部落のはなし

-32 2022.07.15
それでも部落差別は起こる。なぜか。

差別の「しるし」が土地に貼り付いているからだ。差別は土地が対象で、住む人間に派生する。

「いい人なのに、部落出身なんて、信じられない」というふうに。

現住所だけでなく、過去住所、出生地、親、親の親と系譜にまで及ぶ。

#私のはなし部落のはなし

-33 2022.07.19
部落差別の元凶である「劣悪な環境」は、1969年の同和対策特別措置法を機に整備が本格化した。見る人に忌避感を与える「劣悪な環境」の整備が急務だった。

巨額な税金が投入され、自治体、地区住民、運動団体により推進された。全国で整備が進んだ。

#私のはなし部落のはなし

--34 2022.07.20
各地区の「劣悪な環境」は着々と整備されていった。その後、どうなったか。

同和対策開始から17年度、1986年の政府の地域改善対策協議会は、部落差別の要因として、以下4つをあげた。
・ 行政の主体性の欠如
・ 同和関係者の自立、向上の精神のかん養の視点の軽視
-
・ 民間運動団体の行き過ぎた言動に由来する同和問題はこわい問題であり、避けた方が良いとの意識の発生
・ 同和問題について自由な意見交換ができる環境がない

上記のすべてに共通する要因は、運動団体によるものだ。

部落問題は、新しい差別の原因を抱えることになった。

#私のはなし部落のはなし

--35 2022.07.21
つまり、このころから部落差別は、
1.土地に対する忌避感
が、地区の環境整備により大幅に減少し、
2.運動団体に対する忌避感
が大きな要因になっていた。

これで問題の構造が複雑になり、解決が面倒なものになっていく。

#私のはなし部落のはなし

--36 2022.07.22
その後、2000年代に入り、運動団体による不正・暴力・恫喝・横領・詐欺の不祥事が次々と表面化し、人々の運動団体に対する忌避感は決定的になる。

そんな中、世の中はネット時代に突入していく。以前の考え方が通用しない世を迎える。

#私のはなし部落のはなし

--37 2022.07.25
2010年代以降、スマホが普及し本格的なネット時代に入る。

ネット世界はタブーがない。従来は出版や放送などメディア側で行なわれたチェックが行なわれない。

リアル世界では差別として規制されていたことが、ノーチェックで出てくる。発信者以外は誰もチェックしない。

#私のはなし部落のはなし

--38 2022.07.26
運動団体は、こうしたネットの状況に対応を迫られるが、
1.自分たちの原因で自分たちが忌避されていることに気付こうとしない
2.たとえ忌避されていることに気が付いても、それを認めようとしない
3.自分たちが部落差別の原因であることを、認めようとしない
という姿勢をまったく崩さない。
-
しかも、運動団体はネットの世界で起こる差別事象について、
4.差別事象を「規定」し「規制」しようとする
5.差別の権威であるかごとく振る舞う
6.差別に関する情報を独占し他者に公開しない
という、ネット以前の思考と言動の回路を、かたくなに保持し続けている。

#私のはなし部落のはなし

--39 2022.07.27
つまり、現在の運動団体は、
1.部落差別の原因となっている自分自身の思考言動を改めない
2.ネット世界に対応できる方法を追求しない、やろうとしない

なので部落差別はなくならず、かえって質的に悪化させている。

これが現在の部落差別だと私は考えている。

#私のはなし部落のはなし

--40 2022.07.28
では、どうすれば部落差別は解消されるのか?

まず、本来の原因である「土地」に起因する差別について。

「劣悪な環境」が改善され、土地に対する人々の忌避意識は時間とともに自然風化する。しかし、風化を阻止しているのは、運動団体が自ら差別の原因となっているからだ。
-
その自然風化を促すには、
・差別対象の土地を隠さないこと

「隠す」から「あばく」「さらす」意識がひとびとの心の中に発生する。それを頭から押さえつけるから、ますますネガティブな感情が高まる。
-
「隠す」ことをやめて、それがそこにあることを当たり前の存在として扱う。部落は部落として、ありのままに扱う。特別扱いはしない。

当初は多少波風が立つかもしれないが、最初だけだ。
当たり前の存在になれば、風化は自然に進む。

#私のはなし部落のはなし

---40 2022.07.29
次に、運動団体、特に部落解放同盟はその使命を終えたし、しかもネットの新時代に対応できない以上、
・発展的解消として組織を解散し、ネット時代に対応できる組織として新たにリスタートする

これに尽きる。

ネット時代への対応は、
・情報は公開
これが基本中の基本。
-
なぜなら、
・差別心は、人間の心に内在するものの反映だから、規制や規則ではなくならない
・差別は、差別される側と差別する側の、両側の立場から議論をすすめないといけない
・議論を進めるうえでは、情報が公開された状況で行なわないと話が進展しない

これらを考え方の基本として進めるべきだと思う。
-
映画「私のはなし部落のはなし」が伝えようとしているこは、まさにこれだと思う。

以上、2か月にわたり、部落問題について今まで考えたことを記しました。

これで終わります。

#私のはなし部落のはなし

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