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対話について考えたこと1 「対話って,ひとりでするものじゃないか?」

対話について,の対話に出ることになったので,出る前にいま考えていることを書いてみようと思った。 最近,対話って「ひとりでするもの。自分がするもの。」ではないか,と考えるようになった。 2人かそれ以上の人数で対話できているような気がするときも,それぞれが自発的に,その場にでてくる「刺激」を参照しながら,やはり自分と対話している,ということなのではないか。 同じ場に居合わせた人々が,テーマを共有してそれぞれ考えているとき,まるで相手「と」対話しているような錯覚を憶えるかも

    • 五重になっている友人の欲しいものが分かってうらやましかった話

      友人がもうすぐ誕生日。xx歳になるのはどんな気持ち?ときいてみた。 昔観た特撮もので,マトリョーシカのように「脱いだらひとまわり小さい自分がいる」というタイプの特撮ヒーローがいた。そいつは5重くらいになっていた。いま「xx歳になるのがどんな気分か」と問われると,あのときの特撮ヒーローみたいに,自分もいまの自分の皮を脱げば,自分の中にひとまわり小さい自分がいて,それを脱いだらまた小さい自分がいて・・・という感じに,5重くらいになってきている感じがする。目の前のことへは現年齢の

      • 哲学対話体験記#06「自分の死について 」

        こまば哲学カフェ,SHIKOさん主催の哲学対話である。90分,考えるためのルールがクリアで徹底されていた。他者の話を聴きながら,考えたいことについて自由に考えることができた。 今回は入室前から対話開始までに,職場から緊急の電話がかかってきたり,PCがブラックアウトしたり,繋がったのに突然落ちたりと,いつもにないトラブルに見舞われ,何度か,もう対話に加わることを断念しそうになった。そのたび(自分自身がこの対話を億劫がっているのかもしれない)という風にも思えて,逃げるのはイヤだ

        • 映画や本や対話の日記:1

          みた先読んだ先から忘れて行くのがなんとなく残念なので,まとめや推敲せずに書き付ける。気をつけないで書くので,いっぱいネタバレがあると思う。5本溜まったらアップする。 佐々木,イン,マイマイン(映画)自分は,佐々木がひとりで暗い部屋でゲームしているところをみてこの人のこと愛してしまった。あれは誰だ,わたし自身か,弟かオジか誰か。映画館出て帰り道は家族メンバーの葬儀に出たあととほぼ同じ気持ちだった。 佐々木は真面目にパチプロやってたし,死ぬ前にホームラン50本打ってた。 「

        対話について考えたこと1 「対話って,ひとりでするものじゃないか?」

        • 五重になっている友人の欲しいものが分かってうらやましかった話

        • 哲学対話体験記#06「自分の死について 」

        • 映画や本や対話の日記:1

          「加害者像の取り込み」についてまとめてみた。「自己内の自己たち」の話になった。◇サイコロりんしょうしんりがく #01

          公認心理士試験問題2018年,問154 に" 6歳の男児Aの心理的問題を査定する” という問題がある。ここに「暴力的なモデルの取り入れ」という言葉が出て来る。 概要:Aが4歳のとき,母親が再婚。再婚相手Bが母親とAに暴力を振るうようになった。5歳のとき,Bの暴力によりAは骨折。母親はBと離婚し,6歳となった現在,Aは母親とふたりで暮らす。Aは保育所では内気で消極的に見えるが,時折別人のようになり他児に暴力を振るう。昼寝ができず,夜も頻繁に目を覚ます。但し,乳幼児検診等では

          「加害者像の取り込み」についてまとめてみた。「自己内の自己たち」の話になった。◇サイコロりんしょうしんりがく #01

          私とアイデンティティ感覚 -青年期の揺れの記憶と「私は生きてるさくらんぼ」

          『私は生きてるさくらんぼ』という絵本がある。ちいさな女の子が,その日にみた景色,人々,色彩の中にとけこむように,「わたしは 木 わたしは 猫.」「わたしは あお わたしは 金.」と,自由にすきなものに同一化して,うたう。そして「わたしは いつも わたしでしょう. わたしは いつも あたらしくなるのよ.」としめくくる。  この本に出会ったのは25才の頃だった。京都の素敵なセレクト本屋さんで何気なく手に取り,開いてページをめくっているうちに涙が止まらなくなり嗚咽をこらえた。そこ

          私とアイデンティティ感覚 -青年期の揺れの記憶と「私は生きてるさくらんぼ」

          哲学対話体験記#05 「依存」 恋愛依存とはなんだ・問がうまれること・仲間ができること=たびのはじまり

          どんどんいく。#04の翌日,5月3日。 私は恋愛依存(あとで考えると人間関係依存だったが)でのたうち回るうちに哲学対話に出会った。大学生〜20代半ばまでひそかに摂食障害(過食して吐くパターン)をやっていた。勉強も仕事もハマるとやめられなくなるが休みが来ると廃人化する(誰とも会いたくない・なにもしたくない,床で転がっている),そんな年月もあった。精神疾患や発達障害の弟たちの代弁者のような親の肩代わりをするかのような気分で東奔西走疲弊していた。弟たちに嫌気がさすとこんどは仕事で

          哲学対話体験記#05 「依存」 恋愛依存とはなんだ・問がうまれること・仲間ができること=たびのはじまり

          哲学対話体験記#04 「哲学対話についての哲学対話」 ドッグランとコミュニティボール

          5月2日。1週間前までは想像もしなかった「哲学対話漬けゴールデンウィーク」に突入していた。私は,悩み事や恋愛に限らず,なんでもかんでも考えたいと思うようになってきていた。 子どもの頃,科学のふしぎ,社会のふしぎ,みたいなQ & A的「なぜなに本」が好きだった。「宇宙のはじまりは?」「どうして子どもはお年玉がもらえる?」「万博ってなに?」みたいな,切り口バラバラ・興味があるのかないのか自分でもよくわからない,しかし読んでいると「世界のどこかに顔見知りが増えた」みたいな気がする

          哲学対話体験記#04 「哲学対話についての哲学対話」 ドッグランとコミュニティボール

          哲学対話体験記#03 「 勉強とからだと心 勉強と、からだ・心に繋がりはありますか?」新しい扉,哲学対話で出会う "自己たち" について

          私が出させて頂いた哲学対話の第3回目レポートです。日付は4月29日,祝日のお昼14:00-。 この企画は,のちに始まったこまば哲学カフェ【シリーズ 勉強とからだと心】の世話役をつとめられている石川信行さんと,のちに【シリーズ セックスと性の〈なぜ?〉を考える】を主催される二村ヒトシさんの共同主催であったかと記憶している(以下は「こまば哲学カフェ」,リンクは過去のイベントですが,今後も続けて開催されるシリーズです)。 話は前後するけど,最近(8月14日頃に)出た,とある哲学

          哲学対話体験記#03 「 勉強とからだと心 勉強と、からだ・心に繋がりはありますか?」新しい扉,哲学対話で出会う "自己たち" について

          哲学対話体験記#02「鬼滅の刃1と2」 "なんで こんなことに なったんだ" からはじまる旅

          哲学対話との出会いと,それを通してかんがえたさまざまなことについて書いている。対話後すぐに書かないと,そのときの考えの勢いがなくなり,なかなか書きづらくなってくるが,思い出して書いてみる。 「鬼滅の刃1と2」に参加したのは「コロナとSEX」で哲学対話に初参加した翌日,2020年4月25日の夜のことである。主催は二村ヒトシさんだった。今思うと,いきなり二日連続だったのだな。 この哲学対話に参加しようと思えたのは,テーマ説明に"1巻と2巻を読んできてください"と書いてあっ

          哲学対話体験記#02「鬼滅の刃1と2」 "なんで こんなことに なったんだ" からはじまる旅

          ガリガリ君の当たり棒にまつわるトムとの愛か友情について

          私には,トムとジェリーのように仲よく喧嘩するタイプの親友がいる。私は女性であり,相手は20才ほど年上のおじさんなので,親友というのは少し変かもしれないが,他にいい言葉が見当たらない。 この人をトムと呼ぶ。トムはガリガリ君の当たり棒を効果抜群のラッキーチャームだと固く信じている。話をきくと,以下のようであった。 トムは昔,ある官庁に勤めていた。その頃所属していた部内で大変なことが起きた。その大変さは,対応に明け暮れ数週間職場から家にも帰れない程であった。また同時に直接関わり

          ガリガリ君の当たり棒にまつわるトムとの愛か友情について

          私の人生の一部であるがこれまで人にはほとんど話せなかった話#01

          このことを書こうと思ったのは,4月から始まった連日の哲学対話の時間で,さまざまな方向からの考え事ができるようになったためである。 この記事は,他の記事に比べて重い内容になるかもしれないけど,私は明るい気持ちで日常生活を送っているし,哲学対話のときも,いつも,考えることを楽しんでいる。 どこでも何でも話すわけではないけど,自分の中でタブー感をなくしたい,みたいな目的での,ちょっと迷惑かもしれないトライアルです。 (痛い話が嫌いな人は,読まないでください。) 過去に,自分

          私の人生の一部であるがこれまで人にはほとんど話せなかった話#01

          哲学対話体験記#01 「コロナとSEX」,または,思いがけない考えに出会う場との出会いについて

          哲学対話との出会いと,それを通してかんがえたさまざまなことについて書いていく。 書くことの目的は,「恋愛依存」や「共依存」に人生をからめとられてこまっていた私が,哲学対話のある生活でなにを見つけていっているのか,言葉にして眺めること。 私が初めて参加した哲学対話のタイトルは「コロナとSEX」,2020年4月24日の夜,オンラインだった。 それ以前,私の暮らしの中で,誰かとセックスについて話す機会はほとんどなかった。そのため,参加者の方々が男女問わず,自分の性癖や気になる

          哲学対話体験記#01 「コロナとSEX」,または,思いがけない考えに出会う場との出会いについて