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音大卒フリーアナウンサーへの道のり:6

お待たせしました。(待ってない?)
こちらのつづきです。

アナウンススクールを経て、MC始めました。 編


<前回までのあらすじ>

音大を卒業後、色々あって音楽から離れていましたが、また音楽やりたくなって、歌をうたってみたら声そのものに着目するようになって、3.11とか仕事とか色々あって、なんだかんだアナウンススクールにたどり着きました。

そこで、そもそも「発声」を学んでみるのはどうか、
お客様と話す仕事をしているのだから、役に立つかもしれないし、と
アナウンススクールに通い始めることにしました。


<アナウンススクールで音楽経験が活きる>

ということで、ちょっと変わった経緯で「声で仕事をしたい!」という人に囲まれて学び始めました。

とても刺激的でした。
楽器をやっていた当時のことを身体で思い出す感覚。

しかも、ここで楽器をやっていたことがとても役に立ちました。

・練習する習慣がある
・先生に言われたことを一旦鵜呑みにできる
・多少厳しいことを言われても耐性がある
・納期までに一定のところまで仕上げようとする

これらは実は会社でも役に立っていましたが、ここでより直接的に役に立ったように思います。

音大卒が音楽をしなければならないことはないのだと改めて思いました。
いくらでも他の分野へ活かすことができる。
そして音楽から離れないでいることもできる。

何より、
「楽譜を読み解いて演奏する感覚」と
「原稿を読み解いて声で表現する感覚」が
とても近しいものに感じられたことが一番嬉しかった。
ずっと向き合ってきた感覚が呼び起こされました。

練習をして課題をクリアしていくことがとにかく楽しかったです。

そして、当時まだ最前線で電話対応していたこともあり、発声・滑舌をトレーニングできる機会が毎日あったことも、学んだことをすぐに活かせるという意味で大きかったと思います。

思えばこれが「両方に活かすパラレル生活」の始まりでした。


<ここでも師に恵まれる>

アナウンススクールの先生方はとてもよくしてくださいました。

ナレーションと声優のクラスを受講したのですが、最初に「姿を見られない仕事だと思っていると思うけど、一緒に仕事をする人は見るのだから、気を使うべき」と説かれ、当時そこから10kg痩せるということもしました。

1年間、週末にスクールへ詰める生活を経て、卒業にあたり20社ほどのオーディションがあるのですが、幸いにもひとつだけ声をかけてくださった事務所がありました。

そこで、MCの師匠とアナウンスの師匠とこうなりたいなと思える女性アナウンサーに出会うことになります。

また「師に恵まれる」です。

ということで、スクールを卒業後も事務所のレッスンに通う日々。

そこでもまだ、仕事をいただくというビジョンはあまりなく、レッスンを受けたり、練習したりで声を出すことで、会社のことを忘れられる+とても集中してすっきりできる時間が持てる、そのぐらいのプライオリティでした。


<ひょんなきっかけでMCの道へ>

少し経ったころ、

「MCを勉強してみないか?自分ができていることを受け渡せる人にだけ声をかけている」

と、お誘いをいただいて、教えていただけるものならばありがたく、と
MCのレッスンも受けることになりました。

そこで、MCをロジカルに教わることができたことが、わたしにとって非常に大きな方向転換になりました。

MCを感覚でできている方がとても羨ましいのですが、わたしはロジックで入れるほうが合っていたようです。お仕事をいただくようにもなりました。

MCだけではなく、
現場での立ち居振る舞いや、
活動を長く続けていくために必要なことや、
ブランディングなども、
ここでのことが今も活きています。

自分は何を求められるMCなのか。
なぜ、他の人ではなく自分が指名されたのか。
そもそもMCは何のためにいるのか。
この会の目的は?何をしたらその場にいる人が全員ハッピーになるのか。

このようなことへ仲間と一緒に向き合いました。
(お求めいただいた方にはお伝えしています。気になる方はお気軽に。)

自分が思う自分と、人が求める自分のギャップの大きさに驚きつつも、「なるほどそう見える(聞こえる)のか〜」と自分を見つめ直すきっかけにもなりました。選ぶ衣装も自分のイメージと他からのイメージの違いが大きく悩ましかったです。自分が好きな服と似合う服は違うことがわかりました(笑)

仲間がいたことで、比べることの無意味さを実感できたこともわたしにとってとても大きな出来事でした。

彼女を選ぶお客様と、わたしを選ぶお客様がまったく違うのです。
わたしは彼女のようなMCにはなれない。
けど、彼女もまたわたしのようなMCにはなれない。
それぞれのよさが違うから「みんなちがってみんないい(正しい使い方)」
どちらの存在も必要。自己肯定できるようになりました。

隣の芝生は青いものです(笑)
何かに羨ましい気持ちを持ったときに、そう心の中で呟いてみてください。

ちなみに、その「彼女」とはいまでも仲良しです。
切磋琢磨した人であり、わたしに「大好き」をくれた人。
「大好き」って遠慮せずに言っていいんだ!ということを教えてくれた人。

彼女のように自分から「好き」を渡せるようになりたい。
「好き」の循環を生み出していきたい。
これが、今のわたしのベースになっているように思います。
いつもありがと。大好き!


<ブライダルMCになる>

そして、イベントMCを経て、ブライダルMCへ

不器用な自分に悔しい思いをすることも、とてもとてもたくさんありましたが、ひとつずつ丁寧に担当させていただきました。

当たり前のことですが、出会う新郎新婦それぞれの人生には唯一無二のドラマがあって、一見同じような進行だったとしても、それは二人だけの空気感になります。わたしはそれを増幅する役割。

わたしをご指名くださるお客様は、どなたも本当に素敵な人ばかりで、心からのお祝いの気持ちで満たされる時間をご一緒させていただきました。印象的なシーンがたくさん思い浮かびます。

どうやったら二人が思い描く時間に近づけられるだろう。
当日安心して任せていただいて全力で楽しんでいただけるだろう。
そう考える時間も楽しくて。

結婚式、披露宴、お祝いの時間、本当にいいものです。

だから、乾杯も好きなのです。
お酒だけが好きなのではない、のですよ!


<MCでも音楽の経験が活きる>

ここでも音楽の経験は活きました。

「コメントを話しながらもBGMや生演奏を聴けている」というのはとてもアドバンテージがあるという実感がありました。

例えば「ドアオープンまで○秒」といったタイミングをとるときも、「サビ前のこの楽器の音が聞こえたら」「コードが変わったら」「転調したら」「○小節目で」など、おそらく秒では計りきれない気持ちいいタイミングで合わせられるので、音響スタッフさんといつも「キマった…!」とニヤリとしていました。

生演奏の奏者さんも、わたしがコメントを結び始めたら、演奏も結び始めてくださったり(コード進行でわかる)、その逆もあったり、まるで楽器とMCでアンサンブルをしているような感覚。これがめっちゃ楽しい!
きれいにコーナーを結べると、自分と奏者さんだけではなく、聞いている側もなんとなく気持ちいいんじゃないかなと、自己満足なのかもしれないけれど、そんなことを思ったりしていました。

どの現場にも音楽好きのスタッフさんがいて、わたしが音楽好きなことも漏れ出るからか、そこから連帯感が生まれる感覚もありました。「いつも楽しそうだね♪」と声をかけていただいたり、つい無意識で自分の周りだけでもケーブルを8の字巻きで整えたりしてしまうのですが、そういうところを音響さんはよく見ていてくださっていて「こちら側の人かと思ったw」など。ちょっと変わったMCさんだと思われていたと思います。

特に、MCには音響さんやBGMがつきもの。音響さんあってのMC。しゃべりやすいように配慮していただいていることをいつも感じています。感謝しかありません。

結果的にMCは、音楽をやっていたこと、機材を扱っていたこと、会社でのビジネス感覚、すべてを総動員することで「やりたくて始めたことではなかったけれど、できたこと」のひとつになりました。無駄なことなどない。


MCとして歩み始めたころ、音大時代の繋がりで音楽教室の発表会のお仕事をいただくようになり、これまでの人生において演者として・スタッフとして見てきた舞台の袖からの景色を見て「結局ここに帰ってきた…」と、そう思いました。

そう、わたし自身は、導かれるままに予想外の道を進んだような気がしていましたが、後日、母がハッとするようなことを言っていました。
子供の頃から誕生日やクリスマスなどの家のイベントごとをサプライズを含めて企画運営していたから驚かなかったと。なるほど。


<「なりたいものになる」という教え>

一旦、少し時間を遡ります。

アナウンススクールへ通っていたころに、並行してシンガーCHAKAさんのボーカルワークショップなどにも行っていました。

大きく2つの収穫がありました。

ひとつは、ラジオでご一緒している シンガー こばやしみゆきさん に出会えたこと。

当時からとてもナチュラルで素敵な歌声で、「わたし上手いんです」感がなくて、曲が伝えたいことが こばみさんの声を通してまっすぐに届いてくる。純粋に音楽が好きなんだろうなぁ、そんな出会いでした。

こばみさんは、わたしがワークショップに行かなくなってしまったあとも、通い続けてCHAKAさん選抜のボーカルショーケースにも出演されていて、やっぱりすごいな〜〜と!活動を応援していました。

そして、かなりの時間が経って、今ラジオをご一緒できていることが不思議であり、このように長く繋がっていただけていることがとても嬉しくもある、そんな存在に出会うことができました。


そしてもうひとつは、「なりたいものには、自分でなる」という考え方を教わったこと。

CHAKAさんは歌のことだけではなく、様々な考え方をお話してくださいました。

「どうやったらシンガーになれますか?」ではなく「シンガーです」と名乗る。そうしたらシンガーとしての自分に恥ずかしくないようにスキルを引き上げざるを得なくなる。シンガーのあなたに依頼が来る。その依頼に応えるようにまたスキルを引き上げる。それの繰り返し。果てしない。

このようなことをおっしゃっていました。
そしてこれは、MCの師匠も言葉は違えど全く同じことを言っていました。

近い時期に異なる分野で「なりたいものになり、かつ求められ続けている」複数の先人から聞けたことで、発想の転換ができました。

そう考えると、
ルフィはまさに「海賊王に!おれはなる!!」ですし、
羽生結弦さんは「(金メダル)誰が取ろうが、僕も取ります」なのです。

誰かにしてもらうのではなく、自分でなる。
自分にとってこの発想の転換もとても大きなものでした。


<かくしてパラレルワーカーの道へ>

ということで、発声を学ぼうとしてMCになりました。

イベントごとは主に週末の稼働が多いことや、「一般的な社会の中にいるお客様とかけ離れてしまわないためにも、社会との繋がりは持っていたほうがよい」という師匠の言葉もあり、会社と並行して活動することにしました。

今でこそ「パラレルワーカー」や「複業」という言葉が一般的になりましたが、当時は「副業」としてネガティブな印象しかありませんでしたので、会社にはバレないように細心の注意を払って活動していました。

ただ、MCの活動を通して身につけたことは、会社で積極的に活かすようにしていました。ミーティングや社内コンペの進行だったり、ちょっとした無茶ぶりにも笑顔ですぐ対応する、など。会社での立ち居振る舞いが少し変わりました。会社にバレたときの対策としても「会社に還元していますよね」と言えるようにしておきたかったのもあります。

そのことでとてもよいスキルの循環ができ、会社での役割も変わってきます。そして活動の方向性も変わっていきます。

それは、また次回に。


〜風に吹かれる人生が、また1ページ〜


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