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音大卒フリーアナウンサーへの道のり:1

こんにちは。
「有益な情報を”自分発信”するのがあまり得意ではない」高木真紀です。

人の有益な情報を、こんないいものがあるよ!とお伝えするのは得意な方だと思っています。いつもシェアさせていただきありがとうございます。

このたび、元 FMとやまアナウンサー ナレーター菊地信子さんのブログを拝見し、自分の紆余曲折もどこかの誰かの役に立つのかもしれない、と思い、重い腰を上げてみることにしました。

卒業してからだいぶ経つ今でも、プロフィールに「音大卒」を載せ続けているのは、「音大卒だけど(音楽を学んだけど)音楽に携わっていない」という後ろめたさを少しでも感じている方へ「学んだことを活かすには色んな方法がある」の一例として届けば、という思いがあるからです。

無理にまとめようとせず、徒然なるままに綴りますので、読みづらいところや、ちょっと美化してない?というところもあるかもしれませんが、どうかご容赦いただき、お付き合いいただけますと嬉しいです。


富山に生まれ育つ〜ヤマハ音楽教室との出会い


<小さい頃>

富山県富山市の中心部に生まれ育ちました。
当時住んでいたのは県議会議場の隣です。
わたしのnoteのヘッダー画像は、すぐ近くにある桜の名所「松川べり」です。

外で遊ぶのが好きなおてんば娘でした。
幸い近所には各種公園と図書館がありました。
当時、両親は喫茶店を営んでいました。
ひとりで遊ぶのが当たり前だったように思います。

ヤマハ音楽教室との出会いは、4歳ぐらいでしょうか。
幼児科から通い始めました。

ちなみに初舞台は、地元のホールでのソロ歌唱です。
確か、おやゆび姫の黄色いちょうちょ役。
今だと幼児科の生徒に一人でステージへ立たせるって考えられないと思うのですが・・
ひとりでスポットライトを浴びている風景だけはなぜか覚えています。

今思えば、ここからすでに無茶ぶられ人生は始まっていたように思います。

なお、途中で、ピアノか?エレクトーンか?のコース選択をする際、迷わずエレクトーンを選んだそうです。理由はちょっと思い出せません。
もちろん辞める選択肢も思いつかなかったです。


<小学校〜中学校>

小学校、中学校は商業地のど真ん中にある学校へ。

特に小学校は周りみんながほぼ自営業の家庭。
今思えば多様性に富んだ環境で育ちました。
今、それぞれが家業を継いでいて、尊敬の念ばかりです。応援しています。

中学生活は教室の隅で漫画や本や音楽雑誌を回し読みするグループに。
吹奏楽部は体育会系・先輩後輩文化に馴染めず2年で挫折。一応フルートでした。
お察しのとおり、目立つ存在ではありませんでした。
学校では、合唱コンクールの伴奏者としてだけ活躍していました。

そんな中で、ヤマハの先生が色んな音楽に触れさせてくれました。
・クラシック音楽
・ポピュラー音楽
・フュージョン、ジャズ
・ジュニアオリジナルコンサートのとある作品
・ドラクエ3の音楽
・エマーソンレイク&パーマー
・冨田勲

エレクトーンだけではなく、ピアノ・ドラム・シンセなど…
色んな楽器にも触らせていただきました。

アフリカンシンフォニーのドラムに指名されるなど、思えばここでも無茶ぶられ。

このころ「将来の夢」が、
エレクトーンの先生になりたい
 →エレクトーンのプレイヤーになりたい
  →ゲーム音楽をつくる人になりたい!
と、遷移していきました。

ただ「作曲の勉強を始めるには遅い」という周囲の言葉を聞いて、演奏するほうに意識が向いたことを覚えています。
(今は、いつだって遅くない!と思えるのですが。)


<中学校〜高校>

そんなこんなでヤマハにどっぷり浸かり、レッスンや発表会やコンクールで年間のサイクルがまわる生活を送りました。

・選抜メンバーとして隣の県までレッスンに行かせていただいたり
・レコーディングを初体験したり(ずたぼろでしたけど、よい思い出)
・エレクトーンフェスティバル(EF)というコンペティションで
 3年連続で北陸地区代表に選出いただいたり

と、貴重な経験もさせていただきました。

特にEFは1年目の代表選出がまぐれだと言われたくなくて、必死に、どんな音楽が選ばれやすいか、自分なりに考えたことを覚えています。

何より、自分の出した結果で、名古屋や金沢や福井へ行けるというのが、本当に楽しかった。周りに上手が人がいたというのも楽しかった。
同じ先生に習って、厳しい指導を受けていた同志とは、今でも付き合いがあります。

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<音大を目指す>

自然な流れで、音楽を勉強したいと思うようになりました。

当時、富山には洗足学園短期大学の魚津校がありましたが、ヤマハで師事していた先生がすでに、そこで指導をされていましたので、川崎にある本校 洗足学園音楽大学を目指すことになります。

間違いなく、わたしが最初に影響を受けたのは、ヤマハの先生です。

・師に恵まれる人生
・無茶ぶられ人生


このふたつは、今後、何度も出てきます。つづく。


〜風に吹かれる人生は始まったばかり〜


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