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音大卒フリーアナウンサーへの道のり:3

こちらのつづきです。
いよいよ紆余曲折も本格的に。
初めて電子の海にこの頃の写真を浮かべるような気がします。

音大卒業後

<ライブハウスで働き始める>

就職活動をしている人が周りにいなかったこともあり、卒業後の生活のことを考えていませんでした。課題に追われてそれどころでもなく、また就活を積極的に支援する仕組みも音大にはなかったように思います。恐らく今も。

「卒業後はどうするの?」と声をかけてくださった先生から、某音楽振興会でのアルバイトを紹介していただきました。
ただ、仕事内容はちょっと向いていなくて、、先生には申し訳ないのですが、辞めることにしました。

さぁ、フリーター生活の始まりです。
学生時代から続けていたマクドナルドを含めて、3〜4つの掛け持ちをしていたように思います。

・マクドナルド
・銀座山野楽器のクラシック売り場
・ちょっとお水商売

何か音楽に関わる仕事は?と思い、当時の雑誌「ぴあ」で、都内のライブハウスに片っ端から電話をして、求人していないか?と問い合わせました。

拾ってくれたのが当時のShibuya nest(現:Shibuya O-nest)です。

<舞台スタッフで得たもの>

ドリンクカウンターやチケットもぎりや事務作業全般から始まったのですが、舞台スタッフに欠員がでたときに、手を挙げてみました。

前任者が小柄な女性だった、ということも背中を押しました。
「わたしにもできるかも」と。

とはいえ、わたしは素人。
よく起用していただけたな、と今でも思っています。
当時の店長とは今も繋がらせていただいています。恩人です。

基本的に任せてくれました。
「失敗の尻拭いは俺がする」と言葉にする人。
感謝してもしきれません。

またしても「師匠に恵まれる」です。


店長とは音楽の趣味がぴったり合うのもよかったです。

日々、よい音楽との出会いがあり、そこで出会ったアーティストさんとも未だ繋がっていたり、あとから出会ったり、ご縁をいただいています。

また、音響/照明さんというプロと一緒に仕事できたことも大きかったです。

わたしの役割は、いわゆる舞台監督。ステージマネージャー。
タイムスケジュール通りに仕込み・リハーサル・転換・客入れ・他スタッフのフォローなど、ステージ周り全般が円滑に回るようにする人。

その中で一番長く時間を過ごすのが音響/照明さんでした。

8の字巻きのやりかたから始まって、マイクなどの機材の扱い方から、仕込みや、EQのお手伝いなど、とにかくたくさん教わりました。機材を大切に扱うがゆえお腹の筋肉が若干割れていました。(今は跡形もありません)

彼らはどんな演者さんがきても「やりやすいように」と配慮の手を抜かない。いつも共感できる音楽ばかりではないはずなのに。
「返しが聞こえづらいのかな」「もしかしたら眩しいのかな」ちょっとした言葉の端々から、プロの気遣いを感じました。
そして、技術で返す。
そうするとさらによいパフォーマンスになる。
わたしはその間に立って潤滑油になる。
全員がハッピーになるということ。
この循環を毎日毎日見ることができたことは大きな経験になりました。
その後、MCの活動を始めたときにとても活きることになります。


<ライブハウスからコールセンターへ転身>

ここで出会った、理想の声の持ち主と、ライブ活動もしました。

この頃、プライベートがちょっとずたずたで、結婚→離婚もここで経験します。生活の立て直しにとても苦労しました。塩パスタを食べました。このあたりの記憶が薄れています。人間とは都合の悪いことは頭から消し去るように都合よくできているようです。ということで、この件はこのぐらいで済ませておくことにします(笑)

結婚している間に、「規則的な時間で働いて欲しい」という話がでて、自分にできるオフィスワークってあるのかな?と求人を探した結果、いわゆるコールセンターでの電話応対の仕事へたどり着きました。

nestにかかってくる電話も日常的に応対していたおかげで、自分の中での電話応対に対するハードルがとても低かったので選びました。

これが、天職だと気づくのには時間がかかりませんでした。つづく。


〜風に吹かれる人生はまだまだ続きます〜


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