公立学校か、オルタナティブか。

公立学校は、すべての子どもに一定の水準の教育を与えるために必要だし、良いところもたくさんある。


集団で行動するためには仕方がないルールや縛りもある。そこから子どもたちが学ぶこともたくさんある。


けれども、これは本当に必要だろうか?とか、息苦しいことを子どもに強要しているな、と思うこともある。教員の大きな負担の上に成り立ってるな、と思うことも。


もうちょっと丁寧に考えるなら、一人ひとり違うのに、大人数をザックリとくくって指導することにはかなり無理がある。同じ内容でも効果がある人、特に気にせずやれる人、すごくストレスに感じる人、人によって全然違う。
そのかなり無理があることを、子どもにも許容してもらって、協力してもらってやっている、と思わないとちょっと気持ち的に辛いな、と思う。
そこまで考えてはいない子どもが大半だと思うけれど感覚的には捉えてるんじゃないかと思う。
先生も大変だな、とか、まあ仕方ないか、と。


私自身は小学校1年生から、みんなと同じことをすること、自分で学ぶことを決められないことに違和感を感じていた。
なぜ大学になるまで自分で学び方や学ぶ時間を選べないのか。(高校では選べるところもあるけど)

選べるようになってからの学びはとても楽しかった。

幼い頃よりも賢くはなって、仕方のないことを受け入れる器はできたけれど、根本的な考え方は何も変わっていない。

子どもも選べると良いな、と思う。



これは想像で語っていることだから事実はわからないけれど、オルタナティブスクールやフリースクールを選択肢として考えるとき、

「「普通の」学校には馴染めなかったから。」

という理由が挙げられることが多いのかな、と思う。けれども、公立の学校のやり方とは違う、もっとその子どもにあった、(あるいは家庭の方針や考え方にあった)教育を求めるのは、なにもネガティブな行為ではないのに、なぜちょっとネガティブなイメージで語られがちなのか。ここにも疑問がずっとある。公立の学校で否定されたり、「馴染めなかった」という思いから自信を失った人が多いからかもしれない。たまたま合わなかっただけなのに、「大多数」が「正しい」みたいな考えにならざるをえない状況が、苦しいな、と思う。

なぜ、高校や大学は自分で選ぶのに、小学校や中学校を選ぶのはちょっと変な感じがするのか。
義務教育だからなのか。そもそも「選択する」という考え方が単に浸透していないところだからなのか。

もちろん、自分で選ぶなんて考えもしない小学生もいると思うし、選べと言われた方が困ってしまう子もいると思う。そういう子はいまのシステムで何も困っていないのだからそのままでいいのだ。


公立の学校も良い。
他の学校も良い。
それで良いと思う。

自分にあっている場所で安心して過ごせる。
大人にも子どもにも、それが大事。


自分の生きる場所は、自分で選んで、
そこに自信を持てるような環境作りがされることが
、良いと思う。

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