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夜を泳ぐ

夜、というものを私はそこそこ満喫しきったのだろうと思う。明け方まで仕事をして、バーでスコッチを引っ掛けてタクシーで帰宅する日々は長く続いた。そのときどきの、好きな男のひとと一緒に歩いた夜もあった。無理をして、わずかな時間の逢瀬を求めた夜もあった。気が置けない人と笑ったり泣いたり、印象的な夜は数えきれない。あるときは桜を眺めて歩き、あるときは紅葉に心奪われながら歩いた。満月を指差した夜もあれば、しょんぼりとうつむいて歩いた夜もたくさんあった。美しく輝く星も見ないで。

幾多の夜を経て、今では夜にジョギングをするようになった。ずいぶん健康的になったものである。いろいろな場所を走った。川べりの桜並木、静かな住宅街、幹線道路。なかでも都心を走るのはおもしろい。かつての自分のさまざまなシーンを追体験しているような気分になるのだ。コートの前をかきあわせて、寒そうだけど嬉しそうな表情で電話をしながら歩く人。これからごはんを作るのだろうか、スーパーの袋をさげているカップル。信号待ちをしながらいそいそとスマホをチェックし、明らかに落胆の表情を浮かべる人。いろいろな姿に、過去を重ねる。

夜空にそびえる六本木ヒルズが、数々の高層ビルが放つ窓の光は、まるで宝石をちりばめたようだ。私の目からはそう見えるけれど、なかの人たちは終わらない残業だったり、帰宅を阻む忖度だったり、いろいろなのだろうな。タワーマンションの窓からこぼれるオレンジや黄色や白といったさまざまな光も、幸福をうつしていたりそうでなかったりするのだろう。

夜道に交錯する車のヘッドライト、たえることなく行き交う人影、街灯と色とりどりのネオン。ランナーズハイの一種なのだろうか、それとも私が感傷的になりすぎているのだろうか。走りながら、自分が深海をゆく魚のように思えてくるのだった。涙が溶けていてもごまかしがきく、暗く静かな深海の。

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