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ブリテン ピアノ協奏曲作品13

県立図書館に行って「英国音楽大全」を借りて来た。
兵庫芸術文化センター管弦楽団5月定期演奏会の予習をしようと思ったのだ。

クラシック音楽は料理と同じで、予備知識がなくても味わうことができる。
難しく考えなくても、美しい音楽をただ美しいと感じるだけでいい。
しかし、料理も食材の産地やシェフのこだわりなどを知るとさらに美味しく感じられるのと同じように、音楽も予備知識があるとさらに深く味わうことができるのではないか。

最初はエルガーのことを調べようと思って読み始めたのだが、ブリテンについてのエッセイが先に目に留まった。
ブリテン…グレートブリテン? 
日本名にすると、さしずめ「大英さん」といったところだろうか。
ブリテンは確か、兵庫芸術文化センター管弦楽団9月の定期演奏会で、反田 恭平がピアノ協奏曲作品13を演奏する予定になっているはずだ。
イギリスの作曲家はホルストとエルガーしか知らなかったので、この機会にブリテンのことも勉強しておこう。

そう思って頁をめくったのに、いつのまにか私の魂は時空を超えて1973年のイギリスに飛んでいた。三浦淳史さんのルポルタージュに引き込まれたのだ。
ブリテンが作曲したオペラ「ヴェニスに死す」の世界初演の日にオールドバラのホテルに着いたところからはじまるこのエッセイは、イギリスの田園地帯で極上の音楽を聴く喜びを、じゃがいも料理付きのディナーコースも含めて追体験させてくれる。
こんな美しいエッセイの、音楽評論の書き手がいらっしゃったのだ。しかもこのエッセイ、初出は『レコード芸術』1973年10月というのだから、当時のクラシックファンは雑誌を通してライブな空気感を享受していたわけだ。
私はこの齢になってクラシック音楽をたしなみ始めたことを初めて後悔した。でも仕方がない。若い頃は歌謡曲や洋楽に夢中で、クラシックは退屈に聴こえたのだから。

ブリテンは中流階級の出身で、友人の左翼詩人W・H・オーデンの影響で、政治的感覚も強く、1939年には「ヨーロッパ全般の雰囲気からの休暇」のためアメリカに渡り、3年半滞在した。独身主義を貫き、テノール歌手ピーター・ピアーズを生涯のパートナーとした。

なるほど、ブリテンを理解しようと思ったら、英詩の素養も必要であり、ヨーロッパからアメリカへの移民が急増した19世紀後半から20世紀前半にかけての空気やアメリカのデモクラシーについても知っておいた方が良さそうだ。

なにより、クラシック音楽を理解しようと思ったら、やはり戦争についての知識が不可欠だ。ブリテンのピアノ協奏曲作品13は、1938年という不安の時代に生み出された。
第二楽章について三浦淳史氏は、「弱音器をつけたヴィオラはヒトラーに踏みにじられたウィーン」「静まり返った繊細な悲しみには”消滅したウィーン”の情緒がある」と書いている。第四楽章は「ゾクッとするような死の行進」とも。ああ、知らないといけないことが多すぎる。クラシック音楽とは、かくも高尚な世界だったのか。

話が飛躍するが、私は戦後の日本に生まれて良かったと思っている。私はジョン・レノンの「イマジン」を知っているし、坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」を知っている。
クラシック音楽は「愛国心」と結びついていることがしばしばある。
ロシアの圧制に苦しんだフィンランドの作曲家、シベリウスの「フィンランディア」などがそれである。(泣けるほど美しい曲で、いつか生演奏を聴きたい)
しかしジョン・レノンは歌った。「想像してごらん。国なんてないんだと」。
そう、ユヴァル・ノア・ハラリが「サピエンス全史」で唱えたように、国家も虚構(フィクション)であり、人間の想像の産物に過ぎないのだ。
国を守るという概念がなければ戦争もない、というのは机上の空論に過ぎないということは分かっているけれど。
戦争はいけないこと。
それを徹底的に教えてくれた平和教育にも、日本国憲法の前文を暗誦できるまで帰してくれなかった中学校の先生エノケンにも感謝している。
やたら戦争をしたがって「有事」「有事」と騒ぎ立てる人が多い今だからこそ、そう思う。

人間の精神も音楽も「進歩」していると願いたい。そんな想いで、私は今日もクラシック音楽を勉強している。
とりあえず、定期演奏会当日のランチが目下の楽しみであることは秘密だ。

#クラシック音楽  


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