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ちょっぴりスピリチュアル #2 知ってしまった人

折に触れ、バイブルのように読み返す本がある。

『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』(ポール・オースター編 柴田元幸他 訳 新潮社 2005年)

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ポール・オースター「編」とあるのは、この本に収録された短編小説は、オースターによるものではなく、彼のラジオ番組にリスターから寄せられた「実際にあった話」だからだ。アメリカ市民による、アメリカン・ライフの物語。収められた話はすべて、「事実は小説より奇なり」という慣用句そのもの。洋画の邦訳風タイトルをつけるならば、「嘘のような本当の話」と言ったところだ。

私がバイブルのように読み返す一篇は、ターニャ・コリンズによる『海辺』。たった2ページ半の短い物語だ。

ターニャは、25歳の誕生日にふと思い立ち、貯金箱から一山のお札を取り出し、車に乗って海辺に出かける。適当に選んだ宿に泊まり、海辺でサンドイッチを食べたり、ペーパーバックを読んだり、タバコを吸ったりして過ごす。海辺の宿で、彼女はこれまでに感じたことのない感覚を味わう。「私はどこまでも自由で、安全だった。」

「どの男も私を幸せにも不幸にもできないのだということを私は思い出した。もろもろの星と、それらが象徴しているものを思い起こした。母親と仲よくなりたいとずっと願いつづけてきたことを思い起こした。誰にも、何にも引きずり下ろされている気がしなかった。すべてが完璧で、整然と並び、手の届くものに思えた。眠りたくなかった。この気持ちを終わりにしたくなかった。(中略)初めて味わう、最高の気持ちだった。それはほかの誰にも、何にもつながっていない誰にも奪われようのないものだった。それは私のもの。決して干上がってしまうことのない場所からそれは来ている。こんな気持ちは初めてだった。」

この一節が、いままで読んだどんな名作家の、どんな名文よりも私を捉えて離さない。おそらく、ターニャは「ゾーン」に入っていたのだろう。ある人はそれを「悟り」とか「エンライトメント」と呼ぶのだと思う。私も、一度でいいからこの感覚を味わってみたいと強く願っている。

しかし、この感覚は長くは続かなかった。誕生日が終わる24時間を境に、カチッと切れてしまうのだ。以後、その感覚は一度も、完璧には戻ってこなかったという。わずか24時間の出来事だったのだ。

彼女はわずか25歳で「人生は完璧で安全なのだ」ということを知ってしまった。彼女の残りの人生は、その体験によって揺るぎないものへと変わったのだろうか? それとも、「完璧に自由で安全」な感覚は24時間だけで、その後は失恋や失職などをするたび、心を乱していたのだろうか。25歳の誕生日を懐かしく思い出していたのだろうか。

イエス・キリストの言葉に、こういうものがある。

「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」

一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカによる福音書 一〇章三八―四二節)

何に成るべきか、何を得るべきか、何をするべきかを問うのに忙しく、決してくつろぐことがない私のことを言っているようだ。その問いをやめれば、心の海は凪いで、完全なくつろぎと至福が訪れるだろう。

しかし私は、まだ何者かに成りたいという欲を捨てることができずにいる。それは、失敗ばかりで生きづらかった過去の存在があるからだ。

私は演劇が好きだ。だから人生をストーリーのように考えている。生きづらい過去を持つ人はそれを克服しなければならない。失敗のあとには成功が来なければならない。苦労した人は報われないといけない。それが物語の定石だからだ。

だが、もし仮に私に「過去」がなかったとしたら、どうだろう。失敗したことも、生きづらかったことも、全ての過去がなかったと仮定したら、私はまだ「何者かになりたい」「成功したい」と思うだろうか。いま私は、身体のどこも痛くなく、お腹も満たされていて、あたたかい部屋にいる。物語の時間軸に囚われなければ、過去への後悔も、未来への不安も消え、くつろぎに包まれるだろう。ターニャのような「恩寵」も訪れるかもしれない。

それなのに私はまだ、このままでは終われないと思っている。「決して干上がってしまうことのない場所」に自分がつながっていると信じられず、どこかから奪おうとしている。失ったものを取り戻したいと思っている。「いま、ここ」にくつろげずにいる。

ターニャのような「恩寵」が訪れる日は来るのだろうか。それは、いまこの瞬間の私の選択にかかっているのだろう。

#読書 #スピリチュアル #ナショナル・ストーリー・プロジェクト


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