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私が感じる言語とアイデンティティの関係性

なんか急に博多弁書きたくなったけん実験のつもりで書いてみる。ちょっと読みにくいかもしれんけど出来る人は脳内再生してね〜。

私はこれまでの人生、3/4くらいを地元福岡で過ごしとった。
やけん、自分にとって1番しっくり馴染む(=楽、気持ちを表現しやすい、自分らしいと感じる)のは博多弁。関東に住んで標準語を使っとった時も最初は違和感ありまくりで気持ち悪かったけど、いまフランスに住んで数ヶ月、初級レベルのフランス語で奮闘しながら、余計に日々使う言葉について考えさせられることが多くて面白い。

大学在学中に「少数言語とアイデンティティ形成」について研究しとったことがあって、いまの自分ってまさにその被験者では?ってことで些細な気づきでも残したくなった。別に専門家でもなんでもないよ。


ついでにもう少し深掘りするとさ。

異国に住んで、馴染みのない言葉を覚えないかん。使わな生活できん。まだ思ったことや感じたこと、全然表現できんし毎日フラストレーション溜まりまくり。仮にそれらを伝えられるレベルになったとしても、発する言葉と気持ちが100%リンクするのってまた別の次元やと思うんやけど。性格とか文化の問題も複雑に絡んでくるし。

ひとまず、自分の感情を言葉に乗せて違和感を感じんくなるまでに、どんな変化が起きていくんかな?っていうのを記録しときたい。あとで見返した時に、「当時の自分こんなこと考えてたんやー」とか、「しょーもな!うだうだ言わんと勉強せーや」とか思うかもしれんけど、それはそれでちょっと楽しみ。


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最近はなんか日本におったときよりそもそも表現しようとする気持ち自体が萎え気味やなと感じることがある。
たぶん、フランス語を話す自分を自分らしいと認識できとらん状態から来とると思うんよね。外見は自分やけど、中身がまだ異文化に適応できてなくて葛藤中、ここはどこ、ワタシハダレ…みたいな。それだけでも無意識に結構パワー吸い取られとる気がする。

日本語の場合「方言⇔標準語」、外国語の場合 何でも?まぁ慣れん言葉を使うって多かれ少なかれ頭使うし、ストレスかかってシンプルに疲れるやん。

そこで、本来1番 素の自分を出しやすいはずの地元の言葉を使ってみたらちょっとは感覚取り戻せるかいな?と。
話すのはもちろん、こうして文字にしてみたら、脳内で自分の声で何回も再生されるけん少しはヒーリング効果になるんやない?と思って試してみよるわけです。ちなみに病んどらんよ。


現段階で私のアイデンティティ安定レベルは、当たり前やけど
【 博多弁 ≧ 標準語 > フランス語 】。

これが徐々にでもフランス語優位に近づいていってくれたら嬉しい。
どうしたらいいんやろね。やっぱり母語に勝るもんはないんかなとも思いつつ。第2の自分(フランス語ver.)みたいなのが形成されていくんやろか〜早くその領域までいきたいわぁ。

教えて偉い人。

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