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#45 エチオピアで起こったある小さな事件に関する長い話₋4

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

翌朝9時半に関係者全員が旅行会社のオフィスに集まって今回の事の成り行きを明らかにすることになっていたので、わたしとビニは少し早めの8時にビニの部屋の前で落ち合うことになっていた。
8時にビニの部屋へ行ってノックをした。返事が無い。別室にある共用シャワーを浴びに行っているのかな?と思いながら何度かノックをしたり呼びかけたりしていると、隣の部屋の人が出て来て怪訝な顔。仕方なくいったん自分の部屋へ引きあげた。15分ほど経ってからもう一度ビニの部屋に行ったけれど、相変わらず部屋のカギはかかったまま、何度ノックしても返事は無かった。

この時わたしが感じた絶望感といったらなかった。
「ついに、わたしは取り残されて独りぼっちになってしまった…」
「きっと彼らが昨夜のうちにビニをわたしから引き離してアルバミンチに帰らせてしまったに違いない」
「どんな思いでビニはわたしを置き去りにしたんだろう?」
「今日これから独りで闘わなきゃいけないんだ…」

泣きたい気持ちを必死にこらえ、最後の望みをかけて彼宛てメモを扉の下に残し、ホテルのレストランへと向かった。食欲は全くなかったけれど、気持ちを落ち着かせるために紅茶を一杯頼んだ。それを待ちながら、色んな思いが頭を駆け巡った。今日わたしが話すべきこと、居なくなってしまったビニのこと、彼らはどうやってビニを言いくるめたんだろうか…

そうしていると、9時を過ぎた頃に、レストランのテラスの階段をビニがのぼってくる姿が突然目に入った。「置き去りにされたわけじゃなかったんだ…!」

まだ眠たそうな顔をした彼は、わたしのノックに全く気づかず、ついさっきまで深い眠りに落ちていたことを謝ってきた。彼が寝過ごしてしまった理由を聞くと、わたしの懸念はまんざら外れていなかった。
昨晩わたしと別れて部屋に入ったビニの所へすぐに旅行会社の人達がやって来て、そのままオフィスに連れて行かれ、夜中の3時近くまで根堀り葉掘り事情を聴かれた上、彼に対して何か釘をさすようなことを言ったらしい。再びわたしの怒りは沸点に達し「絶対にただでは済ませない!」という気になっていた。

約束の9時半にオフィスへ行くと、関係者がずらりと顔をそろえていた。マネージャーが大げさな謝罪で口火を切ったのを、わたしは辟易とした顔で受け流した。続いて当事者が順に事情を説明することになった。ドライバーのデリックがひと通り語った後(彼はエチオピアの言語で話したので、わたしには理解できなかった)、わたしの番がやってきた。わたしは昨夜寝る前に頭を整理するためメモしておいた手帳を開き、拙い英語でゆっくりと慎重に、事の成り行きを話し始めた。この場に来てかなり小さくなっているデリックを前にすると、多少気が引ける部分はあったけれど、わたしは包み隠さずデリックの行いを語った。
既にほとんどの事情を知っているはずの旅行会社の人達も、わたしが言葉を詰まらせながら語る内容に、大げさな驚きと同情と、デリックに対する非難の声をあげていた。

事実確認が終わると、彼らは「こんな事件は会社始まって以来です!」(これは昨日から何度も聞かされた言葉だった)、「わたし達にとって日本人は大切なお客様です!」「わたし達は日本人をとても尊敬しています!」と声高に叫んだ上、終いにはデリックを「警察に突き出す」「訴える」などと言い始めた。そんなことをわたしが望んでいる訳もなく、昨日から心に決めていたことを「今こそ言う時だ」と感じた。

昨日の帰りのドライブの途中、彼らが既にデリックを解雇したという事実を知らされた時の、わたしの絶望感。「その行為がどんなに危険なことか、あなた達はわかっているのか?」
もしデリックが事故でも起こしたら…と思った時の恐怖。「何らかのディスカウントをしなければ、わたしは許さない!」この場では絶対に泣かないと決めていたけれど、最後には涙目になり、わたしの声は震えていた。

みな呆然として静まりかえった空気を破るように、マネージャーは「もちろんです!ディスカウントします!」と大声で宣言した。彼らは何よりも日本人旅行者の間で悪評が広がることを恐れていたのだ。実は最初にこの旅行会社を訪れた時、彼らは自慢げに日本人のブログでこの会社が紹介されているのを
見せてくれた。日本人の旅行者がブログの口コミで旅行会社の評判を判断しているのを知ってから、夜な夜な日本人のブログを検索しては、自分たちの評判をチェックしているらしかった。
(いくつかのブログを見せられて、何が書いてあるのか英語に訳してと頼まれたりもした)
それを見せてもらった時にわたしも「ブログに書きますねー」などと話していた。今回のことで、わたしが彼らの会社を訴えるような行為に出ること、あるいは日本人旅行者に悪評を吹聴することをおそらく彼らは最も恐れていたのだ。

結局わたしは、支払った額から諸々のコストを差し引いた額(彼らの利益分)をディスカウント分として返金してもらうことで、決着をつけた。
後でビニからは「もっと要求するかと思った…」と言われたけれども、あの場でわたしが「もしも日本でこんなことが起こったら、全額返金するのが当たり前だ!」と言った時に、マネージャーが青ざめて目を白黒させた、その顔を見られただけでもう十分だった。
こうしてこの小さな事件は、ひとまず幕を下ろした。

* * *
今となってはもう答えの出ないいくつかの疑問がある。
デリックはなぜ突然あんな風に酔っ払って、わたしにカラみ始めたのだろうか?
わたしには、彼が真から不真面目で、良くない人間だったとは思えない。おそらく、道中、何度も何度も旅行会社の人達が電話をしてきたことが、彼には大きなプレッシャーになり、わたしが何かクレームをつけたんじゃないかと疑心暗鬼になって、おかしな行動に出たのではないかと思うのだ。あくまでも推測の域でしかないけれど。
そして、バンビーノ。彼は何者だったんだろう?
旅行会社のマネージャーは「あれはガイドじゃない! デリックが勝手に連れて来た奴だ。今回のプログラムでは、あの時点でガイドを雇う契約にはなっていなかった」と言っていたけれど、何の得があって、デリックが勝手にガイドを雇う必要があるだろうか?
結局彼がその後どうなったかも、今となってはわからない。

最初は驚きの見た目と味のインジェラ。それがいつしかクセになっていた…


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