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#16 ミャンマー雑感₋1

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

「この旅が実現できるとしたら、絶対にミャンマーに行きたい」と声高に言っていた割に、ミャンマーについてほとんど知識が無いままやって来た。

ここ数年、民主化と経済開放が急激に進み、日本を含む先進国が熱い視線を寄せているという通り一遍の情報と、長く軍事政権に抑圧されていながらも果敢に闘う人々がいる国(これは、去年観たアウンサンスーチーの映画に強く影響された結果)、そして多数の少数民族が割拠しており、ゴールデン・トライアングルの一端を担っている国…などというツギハギもいいところのイメージ先行で、例によってガイドブックを持たずに入国を果たした。

10日程度の旅では出会える人の数なんてたかが知れているのに、「ミャンマー人は●●だ」などと語るのが乱暴すぎることは承知の上で、その短い期間に、運良く(あるいは運悪く)どんな人と出会ったかで、その国の人に対する印象が形成されることは否めない。加えてわたしの場合は、一つ前に訪れたラオスの人々に対する印象が良すぎたことも、ミャンマーにとっては不利だったかもしれない。

楽しみにしていたバガンで訪れた有名な寺院では、親しみを込めた笑顔で近づいてきた姉妹が、親切に寺院内を案内してくれた。そして最後に「マネー!」と言って手を差し出した。こんなことは、これまでに訪れた東南アジアの国でも何度か経験しているし、他の人からもよく聞く話ではあるけれど、勝手にラオスに近いものを期待して来たわたしは、「あーそうなんだ、そういう国なのね…」と思ってしまった。

冷静になると、発展途上国の観光地にこうした”押し売りガイド”がいるのは、別に驚くことではない。昔のわたしなら、
絶対にお金を払わないけれど、最近はちょっと違う意識も芽生えつつあり、立ち止まって考えてしまった。彼らから見ればわたしは「お金がある旅行者」。もちろん、旅人それぞれにお金を切りつめたい事情はあるとしても、少しでも余裕があるのなら、そこにお金を落として循環させていくことも必要なのではないか…と。

とはいえ、全ての押し売りガイドに付き合う訳にもいかず。その後は何となく近づいて来てガイドしようとする人に「要らないよ」という意思表示をするも、勝手について来て、最後に「わたしのお土産屋を見て行って」と懇願されるパターンを何度か経験した。さらに相手が粘り強いと「わたしには幼い兄弟が沢山いて彼らを学校に行かせるために…」なんて話しが始まってしまうこともあった。心を動かされそうになるのを、「キリが無い」と思って振り切ると、後ろで思いっきり大きな舌打ちをされた時には、「この子なら大丈夫」とホッとした。

バガンが終始こんな調子だったので、すっかりミャンマーの人々の素朴さに対する期待感がしぼみつつあったけれど最後に訪れたインレー湖では、しぼんだ期待に反して、温かくフレンドリーで親切な人たちに助けられた。訪れたインレー湖畔の街そのものは緑の多いのどかな所だったけれど、外国人旅行者が結構多く、田舎の人々とはいえ旅行者に対して”気持ちよく接する方法”をよく知っているように見えたところが、ラオスのルアンパバーンと似たものを感じた。

そういえば、ヤンゴンからバガンに向かう深夜バスのターミナルで、わたしを日本人だと察したミャンマー人の男性が「日本人と一緒に働いていたことがある」という簡単な自己紹介の後に、わたしが乗るバスを確認して、中まで案内してくれた上、私の隣のシートの男性に「この子をバガンまでよろしく!」と頼んでくれた。この隣の男性も、途中のトイレ休憩の時にはコーヒーをご馳走してくれて、最後にはバガン到着を教えてくれた。

結局のところ、この先どこの国に行っても、旅行者からお金を搾り取ろうとする人々と、見返りなんて期待せずに温かく接してくれる人々の両方が存在するんだ、という極々当たり前のことを、ここミャンマーで実感することができたのだ。ラオスで骨抜きになっていたわたしにとっては、ある意味、良いリハビリになった。

双子のような仏像
うt有名な遺跡は、どこも押し売りガイドが激しかったけれど、名もない小さなパゴダでは落ち着いた雰囲気を独り占めできた
まだあどけない姿
まるでいたずらっ子のような小さいお坊さんたち
マンダレーで見かけてた朝の托鉢
笑顔を向けてくれた少年のお坊さんたち

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