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#110 南米の仇をインドで打つ-4

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

わたし達のずっと前を登っていた人影が、こちらに近づいて来るのに気がついた。

「なんで彼は下りてくるんだろう?」

実はこの夜に登頂を目指していたのはわたし達だけではなく、もう一人チェコから来た男性がいたのだ。彼はガイドを伴わずわたし達よりも少し遅れてたった一人で登ってきたのだけれど、途中でわたし達を追い抜いて、かなり先を登っていた。ところが夜明けを迎えてしばらく経った頃に引き返してきたのだ。

言葉を交わせるくらいまで近づいてきた時にミンマが尋ねると「この先は足場がかなり不安定だから、登山経験がそれほど多くない自分は独りで登れる自信がない」と彼は答えた。

これからわたし達が進もうとしている迂回路の行き方をミンマが教えても戸惑っている彼に、わたしが「もしよかったらわたし達の後ろをついてきたら」と言うと、彼はこくりと頷いて素直に従った。

ほとんどの挑戦者が見送った今夜の登頂。いやしくもそこにチャレンジしている仲間だという思いが、おせっかいにもせっかくここまで来た彼を諦めさせてくないとわたしに思わせた。

その頃のわたしの歩くペースは恐ろしいほど落ちていたので、図らずも後ろをついてくることになった彼にとってはかえって辛かったかもしれない。けれどそんなわたしに後ろからプレッシャーをかけることもなく適度な距離を保って彼は淡々と着いてきた。

まったく、ここまで景観を楽しむ余地の無い登山は初めてだった。

これまでの登山でも一時的に天気が崩れることは多々あったけれど、ある程度以上の高さまできた時には雲海から昇る朝陽や沈みゆく月の姿に見惚れる瞬間が必ずあった。ところが今回は出発した時以外、ほぼずっと曇った状態。常に雨や雪がチラついていていつ夜が明けたのかさえもわからず、ふかふかの雲海の清涼な姿に励まされることもなかった。

けれども今回のわたしはこれまで以上に「登頂」に強くこだわっていたから、心震える瞬間に巡り会えなくても落ち込むことはなかった。むしろ立ち止まってカメラを取り出すことで、残りわずかの体力と集中力を消耗し、結果として登頂できなくなってしまうことの方がずっと恐ろしかった。

一度だけ晴れ間が見えて雲海を貫く稜線に目を奪われたことがあったけれど、それさえも自分の目と心に焼き付けるだけにとどめ体力の温存を優先した。

後ろを来ていたチェコ人の彼が立派なカメラを取り出して何枚も写真を撮っていた姿は覚えているし「人生で一度きりの経験かもしれないのに何故あの時写真を撮らなかったの?」という思いが全く無いわけではない。けれどもそれは今こうして安全な平地に立っているから言えること。あの時の思いつめたギリギリの自分に安全地帯から分かりきった一般論を言うのはフェアじゃない。

何度か「あと残りどのくらい?」とミンマに尋ねたけれど「頂上はあの岩を越えた向こう側だからここからはまだ見えない」という答えを聞く度にうんざりしてもう質問するのはやめることにした。

それよりもこのナイフリッジのような稜線を登りきることに集中しなければ。ワイナ・ポトシでは歩けなかった美しくも険しい稜線に今わたしは挑んでいる。自分の脚で歩いているんだから。

タルチョー(チベット仏教の五色の旗)がひらめく岩のところまでたどり着いた時「あとどのくらいかな?」という思いを飲み込んでまた踏み出そうとするわたしに、突然ミンマが握手を求めてきた。

This is summit!

え…? ここが、頂上…?

呆然として、しばらく動けなかった。

続いて登ってきたチェコ人の彼とも握手。「Congratulations…」と弱々しく言葉を交わす。

ここへたどり着くことにあんなにも強くこだわった頂上。今まさに、そこに立っている。けれどここから見えるのはわたし達を覆い尽くす雲ばかり。他には何も見えない。今越えてきた稜線さえも…

今となっては感動したのかどうかさえもよく覚えていない。しばらく惚けていたから。

あまりに寒くて雪の上にお尻をつけて座ることができず、空気イス状態でしゃがんでいたわたしは、とうとうその場で脚をつってしまって立ち上がれなくなり、涙ぐんでミンマに助けを求めた。

雲が晴れた瞬間、少しだけ見えた稜線に見惚れるのが精一杯だった

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