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見える景色が変わるとき。

イベントではじめて知ったのが、環世界という概念だった。

生き物はそれぞれ見えている世界が違う、という話。
それぞれの機能に必要なようにそこにある世界を知覚していて、たとえば色とりどりのお花畑がミツバチからは記号のように見えている、など。
ミツバチは、蜜が取れる花がどこにあるかを判断できればよいから、それに特化した見え方になっている。

人はほかの生物と比べて複雑で、いろんな価値観や背景などがあるから、ひとつの環世界ではないということとか、人は言葉があるから、ほかの環世界を理解することができるとか。
おもしろかったのでもうちょっと理解したいし本読もうと思う。



で、その環世界の話を聞いていたとき、思い浮かんだのは、人がものごとを見るときのフィルターの話だった。
その人の持っている価値観とか経験とか、今いる環境とか状況とかで、同じものを見ていても見え方が違うことになる。
見える範囲とかフォーカスするところなどが違ったり、思い込みなどで見えなくなったり過剰に見えたり、自分の都合に合わせた解釈をしてしまったり。
それが、それぞれの機能などによって見え方が異なる世界というのと、似ている気がする。

似ているけど、人の価値観とか経験とか環境とかって変わっていくから、同じ人でも一定の世界の見え方ではない。
しかも、新たな体験をするとか環境などの変化みたいな大きな変化だけではなくて、身体の状態が変わるだけでも見え方変わるよなぁと思う。

ちょうどついこの前、仕事中めちゃくちゃつかれていたときに見えていたことが、仕事いったん終わってちょっと落ち着いてから振り返ってみたら全然違う事象に見えた、ということがあったのだった。
その間で、何か新しい体験をしたわけでもなく、知識を得たわけでもない。
ただ、つかれすぎてぴりぴりしていた状態から、ちょっと落ち着いて多少リラックスした状態になっただけ。
時間にして1,2時間くらいの違いしかない。
おそらく、しんどくてめちゃくちゃ視野が狭くなってたのが、ちょっと落ち着いたら見える範囲が広がったとか、そんな感じ。

身体の状態で見える世界が変わるのか?と思うと、それはあたりまえのような気もしてくる。
体験するのも環境や状況の影響を受けるのもそこにある身体だと思うし。違う生き物とは当然身体も違うし。一般的普遍的なのと個別との差は個体の身体単位のように思えるし。


とか考えると、それぞれの人のその人らしい世界が見える身体とはどんな状態なんだろう?とか思ったり。
いろんな見え方ができるのがベストな状態ってことなのか?とか思ったり。(意識して見たら俯瞰して見えたりとか、集中してると一部しか見えなくなったりとかするじゃん?)
人だけでなくて動物とか虫とかも個体差あって環世界も違うのか?とも思ったり。

それぞれの世界があるのはわかったけども、何をキーに世界が変わるのかな?というのが気になるところ。

わからなすぎてとりあえず本読む。
(あとちょっと続く?)

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