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書くからつながっていくこと。

私は書きながら考えることが多い。
書かなくても考えていることは多いのだけど、書かない間ってぐるぐるまわっていたり、同じところまでを確認するようになぞっていたり、逆にあちこちにとんではそのまま戻ってこなくなったりして、考えてても何も進んでないことも多い。

だから、考えるために書いたり、メモ的に考えながら書いていることが多い。
メモ魔なので記録のために書いていることも多い。

だけど、書くのって、思い出したり気づいたりする力が結構すごいよね。
というのを改めて実感した。

昨日、遠藤引退のニュースを見て、思わずnoteを書いた。
Facebookでさらっと残念だと書いただけでは足りなくて、でもFacebookに書くには多すぎて、長々と書くならここだなぁと思って。

そのときは単に、このなんとも言えない気持ちを誰かに話したくても話せる相手がいないから、じゃあ書いておかないと!って思った。
なんかぐるぐる出てきているのを、そのままにしておけなかったから。

最近全然サッカー見てなかったし、遠藤やガンバの状況をときどきSNSで見るとかくらいだったし、とりあえずなにか書いておきたいって思ったけどそんなに書けることもないなぁと思いながら書きはじめた。

でも、書いてたら、よく見てた頃のことを思い出す。
その頃の気持ちを思い出す。

なんだかんだといっても、私サッカー好きだったなぁと思うし、遠藤好きだよなぁと思うし。
いやでももともとは小野見てたし、その後も小笠原見てた時期が長かったし。
息子がファンにならなければここまで遠藤を追ってなかったかもしれないとも思うし、でもかしこくてきれいなプレーの人好きだもんな、結局好きかもしれないな、憲剛も好きだし井原さんも好きだった。
その世代がスタメンからはずれるようになってきたらだんだん見なくなったくらい、その代が好きだったんだなと思うし。

娘とはちょこちょこ出かけたりもするけど、息子と出かけるのってサッカーくらいで、2人だけで出かけたのはガンバ戦のときだけだなぁと思い出したり。
人見知りでひとりで動くの苦手な子だったのに、遠藤を見るならと先に1人でスタジアム向かったりもしたし、サッカーだけは自分からどんどん話しかけたり動いたりしてたよなぁと思い出したり。
サッカーをがんばってた姿も思い出す。

思い出しては書いて、どんどんつながって思い出して。
きっと、書こうとしなかったら、忘れていたこともあったと思う。
書かなかったら、気づかなかったこともあったと思う。

写真とか見たら思い出すことや気づくことってたくさんあるとは思うけど、写真じゃないから、視覚からの刺激でないから、出てくることもあると思う。
書いて言葉にしてつながっていくものや見えるようになるものと、目で見てつながっていくものは違うと思う。

見て思い出すのと言葉にするのとでも違うし、話すのと書くのとでも違うと思う。
アウトプットのスピードが違うのもあるかもしれないし、書くことって書いたことを自分が見れるから見てまた思い出したり気づいたりする力は大きい。

そんな風に、いろいろあちこち思い出して気づいて、思いがけないところにつながっていくのが、書く楽しさだし書くことの力のひとつだなぁと思う。

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