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「サポートすること」がやりたいこと?

自分でやりたいことを見つけてやっていくのがいいこと、みたいに言われがちだと思う。
実際、そうできるのはいいことだと思うけど。

でも、特に自分はやりたいことがないです、人のサポートするのが好きです、っていう人もいる。
サポートするのが得意っていう資質の方もいるし、そういう人がいるから助けられる部分ってたくさんある。

そういう場合に「人のサポートするのがやりたいこと」ってなるのはどうなのか?

私は別にそれもありだと思う。
ほんとにそれがやりたいことなのであれば。ほんとは別のことがやりたいのに、諦めて言ってるとかでなければ。

でも、「人のサポートをするのがやりたいこと」って具体的にはなんなのか?ってとこだよね。
きっと、どんな人のサポートでも、どんなことやってるのをサポートするのでも、なんでもサポートやりたいですってわけではないじゃん?

こんな人のサポートがしたいとか、こんなことを実現するためのサポートがしたいとか、そんな何かがあるんじゃないだろうか。
もしくは、特定の誰かを思い浮かべているときでも、その人のこんなところがいいと思って協力したいとか、こんな主張や方針に共感して一緒にやりたいとか、何か理由があるんじゃないだろうか。

その「こんな何か」「こんな理由」が、「やりたいこと」なのではないだろうか。
その何かをとおして実現されるはずの世界が、やりたいこと、の大枠じゃない?
サポートするっていうのは手段のひとつなだけじゃない?やりたいことの実現のためにやることの中で、あなたの力を発揮しやすい形がサポートってだけではないだろうか。

もちろん、これは極端にシンプルにしたパターンだとは思うんだけど。
「サポートしたい」「人の力になりたい」みたいなときには、もっと深掘りしてみてもいいと思う。

なんでそう思うのか?
どういうときにそう思うのか?
そう思うようになったきっかけは何か?

それは別に「サポートする」ってことだけでなく、いろんな場合において自分に問いかけてみていいと思う。
特に、なんかぼんやりふんわりした内容のときには、いったん具体的なイメージに落とせるまで考えてみるといいよね。
ぼんやりふんわり抽象的な言葉で話していると、実際どうなったら嬉しいの?ってところがわからないまま、なんとなく進むみたいなことにもなりかねないし。
そうするとほんとにやりたいはずのこととずれてしまったりするから。

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