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育児とラジオと会話欲求


初回公開date:2020年6月24日
※内容は初回公開時のものです。

ワンオペには慣れてきたつもりだったけど、旦那が土日出勤の日に子供二人の相手を一気に担うのは、やっぱり肉体的にも精神的にもしんどい。
昼食後に運良く二人でお昼寝してくれた時、ラジオを聴きながら過ごす時間が唯一の休憩時間だ。

それでも、二人のどちらかが起きればその時間もおしまい。
次女の世話をしている最中に、遊んでモードが強くてふざけまくる長女に苛ついて怒鳴り、寝る前に長女に謝罪し、子供たちの寝顔を見ながら反省して布団に潜る…というのが大体の生活パターンだ。

次女の産後の首すわりまでは寒かったので外出を控えていて、そろそろお出掛けするぞ!というタイミングで緊急事態宣言になってしまい、長女の登園自粛で終日ワンオペの日々が始まり、宣言解除されても今までとは同じ生活はできないので引きこもっているうちに育休も終わりそうで…
どんどん日々は過ぎていくのに、置いてきぼりになっている気持ちだけが残る。

自粛期間中の頃から、何に対して苛ついているのか、何を急いでいるのか、わからないときがあった。
家族は何も急かしていないのに、なんとなく追い立てられてる感じ。
そんな不安定な気持ちを長女に対してぶつけているようで、次女の世話も雑になってしまって、一体何をしているんだろう?

そんなことを子供たちが寝たあとに色々と考えていたら涙が止まらなくなってしまい、旦那に話を聞いてもらった。
その中で自分から出てきた欲求は、『大人と喋りたい』だった。
産後から人と喋る機会が激減し、(乱暴な言い方だが)会話を4歳児向けにダウングレードし続けてきたのがストレスだったんだと気付いた。

長女相手だと、会話をするにしても大人のようなやり取りは出来ないし、母親としてのスタンスを保った会話しか出来ない。
それは年齢的に仕方ないことなのだけど、ここまで極端に大人と喋る機会が失われると、その仕方ないことに対しても苛立ちが出てきてしまう。

Twitterに日々の出来事を書いて気持ちの整理をつけたりもしているけれど、それは殆ど自己完結で終わってしまうし、旦那とも話はするが、日々の家事育児の伝達がメインになってしまう。
自分がしたいのは家族以外との会話なのだ。
つまり『第三者との言葉のやり取りを行い、考えをその場で声に出して伝える』ということを欲していたのだ。

そういえば、と気づいた。
休憩時間に聴いているラジオ。
もともとラジオを聴くことは好きだったのだが、自粛期間中から聴衆する番組の傾向が変わった。
今まではパーソナリティが一人で語る番組を好んで聴いていたのに、メインMCとアシスタントのいる番組や、お笑いコンビがやり取りしている番組を好んでよく聴くようになった。
むしろ、一人語りのラジオ番組が苦手になってしまったのだ。
自分でも何故だろうと思っていたが、それも『会話したい』という欲求が無意識に選んでいたのかもしれない。
今の自分では出来ない大人同士の普通のやり取りを、ラジオ番組を聴くことでその会話に参加した気持ちになっていたのかもしれない。

もう少ししたら、今までみたいに一人語りのラジオ番組も聴けるようになってくるのだろうか。


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