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災害時時間経過後注意すべきケア

年始から相次ぐ残念なニュースでした



元旦から、激しく鳴り響く緊急速報に、身を縮こまらせたのはもう数日前になりますが、私の地元、後で知った震度3以上に、揺れた感じさえしました。

東北の多くの被災経験者の方は、瞬時に色々なことがフラッシュバッグしたことと思います。

能天気な私でさえ、テレビから聞こえるアナウンサーさんの緊迫した声に、ちょっと心臓がバクバクしてしまいました。

そして、脳裏に浮かぶのは、その地方にいるだろう友人たちの顔。
無事だろうか?連絡したいけど、一瞬災害時の経験者として、混乱を招くかな、ただでさえ大変なときに・・・と手を止めました。

ついつい人は「大丈夫?」と聞いてしまいますよね。
聞かれた人は、心配してもらえたことに感謝こそすれ、こんな緊急時に?とかは思わないのですが、もし「大丈夫じゃない!」と言われたら、それを聞いて行動できないのに、たやすく聞けないなとも思ったり。

でも、心配していたら本能のままに動いてしまいますよね。
ひとまず、無事がわかってほっとしていました。

時間経過とともに被害の状況があきらかに

当然ながら、被害状況が明らかになっていくと、残念なお知らせがニュースにどんどん上がってきていて、切ない気持ちが増していきます。

被害に遭われた方々に、あらためて心よりお見舞い申し上げます。

そんな中でも、奇跡的に助け出された方もいらしたようで、災害救助隊員の方の「大丈夫だよ、よく頑張ったね。」があたたたくて、もらい泣きしてしまうような状況でした。

何ができるだろう?と焦るけれど

自助>共助>公助という順番は、災害時のもどかしいところでもあり、まただからと言って、1個人が駆け付けても何も出来ないのも事実です。

そんなときに、私たちにできることは、被害がこれ以上広がらず、少しでも食い止められて、1日も早い復旧を願うとともに、信頼ある団体に「寄付」することになるかなと思います。

それを偽善という人もいるかもしれませんが、小さな力を集めて、少しでも役立つように活かしてもらうことで、自分の心も救われることにつながります。

何も被害がなくても人は傷ついている

当たり前を当たり前と思ってはダメなんだ・・・と痛感しつつも、無事だった人は「自分が無事で申し訳ない。」というような感情に襲われることがあります。

実際、3.11東日本大震災のとき、私の思い出の街、南三陸町の高台の皆さんが自分たちだけ、津波被害に遭わなくて申し訳ないと言っていたのを聞いてびっくりしたことがありました。

でも、よく考えると自分も、植木鉢やピッチャー、額縁、パソコンが落ちたり壊れたりくらいで、これを被災と言えるのか?と思っていたことがあります。

自分は最新ビルにいて、免震のための大きな揺れで地震酔いをしてしまい、ずっと救急車と消防車のサイレンと、余震に揺れながら歩いて帰りました。

無事だったなぁと思っていたので、少ししてなんとなく申し訳ない気持ちになったことが蘇りました。

そして、自分は大丈夫!と思っていたのに、しばらくの間、救急車のサイレンとか消防車のサイレンを聞くと、足がすくんで涙がすーっと出てくるというようなことがありました。

今、無事がわかった友人も、もっと被害の大きかったお客様宅に伺い、力になれたことで、きっと自分をささえているけれど、気づかないところでも、傷ついていると思うので、何かあったら、話してほしいと思っています。

子どもたちの不安によりそうために

大人も傷ついているのですが、それ以上に傷ついて不安にうちひしがれているのは子どもたちです。

ぎゅっとハグをしてあげたり、大丈夫だよ!って、普段通りを少しだけ頑張って見せてあげてほしいと思いました。

可能な範囲で、日常に近づけるように。
そして、1日も早い普段どおりの暮らしに戻れますように。

片づけでできること

避難経路を確保する
必要なものがすぐに取り出せる

それだけでも防災。

そして、このような大きな災害にあったあと、やってほしいことは、備えではあるのですが、その前に「自分の暮らしを整える」
どんな暮らしが自分はしたいと思っているのか?を本当に突き詰めた上で備えてほしいと思います。

今後もこのような被害がないことを祈りつつ、自分ができることを考えながら発信していきたいと思います。

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