優等生バイアス
優等生と呼ばれる苦痛。
この痛みから、わたしはとっくに解放されたと思っていた。
真摯にものごとに取り組んでいるとき、自分のまわりの行動がその真摯さと異なるものだったとき、相対的に「優等生」というカテゴリーに入れられてしまうことがある。
でも、それはとても不本意だ。
優等生バイアスに苦しんだ過去
高校入学の際、成績トップだったわたし。入学式で代表として挨拶をすることに。そこで周囲からかけられた「あの子、優等生」というバイアス。そのバイアスに、わたしは以後3年間苦しみ続けることになる。
高校3年生が終わろうとした時、担任からかけられたことばは、いまでも繰り返し、呪文のように自分に言い聞かせている。
このことばを胸に、卒業後は「優等生バイアス」を抜け、自由になることに成功した。「優等生」なら選ばない進路を選択し、名実ともに「優等生」を捨てた。
そこまでするくらい、「優等生」の肩書きはわたしのアイデンティティを追い込んだ。嫌だった。「本当の自分」で生きたいと強く願った。
「優等生」の不自由さを振り返り、二度と戻りたくない立ち位置だと思っていた。
いま、高校のときの友達はわたしを、
と、愛を込めて揶揄ってくれる。それがほんとうに、ありがたい。
「優等生」ということばに苦しむ子たちへ
「優等生」というバイアスに苦しむ子たち、お気持ちお察しします。
しかし、あなたは何も悪くない。周りが勝手に、バイアスであなたをカテゴライズしているだけ。
だから、安心して。
本当の自分を生きていいんだよ。
いや、みんなは本当の自分を生きているだけなんだよね、わかるよ…。
わたしを「優等生」とカテゴライズするひとには、「本当のMAKI」は理解されていないことだけは確か、といまも思っている。
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