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建築が慟哭している|あいちトリエンナーレ#1「旅館アポリア」ホー・ツーニェン

会期折り返しちゃいましたが、印象に残ったものを順次あげていきたいと思います。

ホー・ツーニェン 「旅館アポリア」

@喜楽亭

小津映画をモチーフにした映像から始まる一連の映像作品。一作品12分計7作品、全部じっくり見ると1時間半くらいかかります。皆同じこと言ってますが、時間とって全部見るべき作品です。
テーマを一言で説明するのは難しい。特攻隊のエピソードを通して戦争の不条理が表される場面があります。が、それは伏線で、戦時の文化人がどのように振る舞ったのか、そして彼らが戦後どのように自らを扱ったのか、がもっと大きなストーリーです。しかしそれも伏線で、核心は中盤の「虚無」、それは喜楽邸の建築そのものと繋がっている。
それでも立ち続ける建築の業の深さ、ひいては、それでも回り続ける歴史の非情さ…

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作品は小津映画と横山隆一の漫画のモチーフで始まるのですが、そもそもなぜ小津と横山なのかは二階の作品で伏線回収されます。
テーマ、映像そのものもいいですが、何より唸ったのが、映像作品の配置、そして建築と響きあう音響です。マジすごいです。

一階の順路は喜楽邸女将の回想に始まり特攻部隊草薙隊の隊員が出陣の前に両親に宛てた手紙、順路の最後にはあるパイロットのエピソードが、合間に「虚無」「絶対的な無」というキーワードを挟みながら配置されています。
パイロットのエピソードとは、戦前に東京-ロンドンを当時記録的な速さで飛んだ天才日本人パイロットの話です。機体は三菱重工。太平洋戦争に突入する前のつかの間の明るい時代を垣間見せます。
しかし彼は太平洋戦争にはいきません。その前に亡くなったからです。パールハーバーの報を聞いて呆然とし、ふらふらと歩くうちに機体のプロペラに巻き込まれて死んでしまったというのです。

今から思うと、この一階の作品配置も続く2階の作品への伏線として絶妙でした。
一階の最初の作品、女将の回想はほぼ映像の光のみのほの暗い室で、最後に家ごと揺れるような飛行機の轟音にやられます。これから出会うことになる一連の体験への洗礼という感じ。
次の特攻隊員の手紙とパイロットの話は一転して縁側のある明るい和室で戸は開け放しており、陽光に触れてちょっと現実感を取り戻し安堵するのです。この束の間の安堵感が二階の闇の前兆なんです(笑)。

外光が差して明るい一階から二階に上がると暗転し、次の作品が「虚無」です。
空間はガラス入りの障子で分けられていて縁側から障子の奥の室内を見る設定。向こうもこっちも闇です。暗闇に文字が浮かび上がり、唸るような風切り音がしています。スクリーンなしで闇に浮かぶ文字がめちゃかっこいいです。
そのうち少しずつ明るくなり目が慣れると…風切り音の正体が現れ、度肝を抜かれます。
…あのパイロットを飲み込んだプロペラが、目の前で回っている…
すべてを飲み込んで高速で回転しつづける虚無。
その回転は何も為さない。格子戸の向こうで空転し続けている。
とにかくこの映像、インスタレーション、照明、音楽、全部めちゃくちゃ良い。

二階は一貫して闇です。
残りの二作は二つの映像作品/二つのスクリーンを重ねて見る作品です。…少なくとも私はそのように見ました。違うかも(笑)。
一作は小津安次郎、一作は横山隆一に言及しています。透過して奥のもう一つの映像が映り込んだり込まなかったりします。

またどの作品も飛行機がバリバリ轟音を立てて離陸するのですが、これがゴゴゴォーー…と築100年超の木造建築の喜楽亭とピシピシ共鳴して家ごと、地面ごと揺さぶられるような感覚をもたらします。凄まじい。
美術館のホワイトボックスで見たら同じ状況は得られません。これぞ建築が呼び覚ます身体性です。

喜楽亭は、建築は、実はすべてを記憶している。
この地響きは戦争に巻き込まれた人々の、腹から突き上げる慟哭なのだと思います。
そして、おそらくこれが虚無と対を成す、この作品の最も大きな主題です。

歴史に巻き込まれた人々の内臓感覚を呼び起こす…アートってすごい。

この作品を見て以来、皮膚や視覚よりも、もっと深く抗えない奥底で、内臓感覚につながる、という、建築の身体性の新たな地平について考えています。

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