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性欲と母性はきっと似ている

先日女友達とランチした際に、保活の話になった。私が生後2か月から無認可の保育園に預ける予定だと伝えると、彼女は少し困惑していて、「そんなに仕事したい?子どもの成長を見守る以上の幸せってあるのかな」と言った。

そして今日Twitterのタイムラインをみていたらとある女性の「いつか子どもができたら」という記事がシェアされていた。読み進めてびっくりしたのが、記事を書いた女性はまだ独身で、だけどいつか結婚し、子どもを産むことを今から心持ちにしていることだ。自分の過去を振り返ってみたけど、そんな心境になったことは今までに一度もなかった。

妊娠してからこんなことがたびたびある。ことあるごとに自分の「母性」の薄さを痛感する。私が産後一番楽しみにしているのは、子どもへの授乳ではなくて、心ゆくまでアロママッサージを受けることだし、チャレンジしたいのは、いかに子どもを育てながらも自分の時間を確保するか。

後3か月で産まれてくる私の中にいる人と会うのはすごく楽しみだし、一緒にこんなことしたい、そんな期待やワクワク感も当然ある。ただなんというか、そのワクワク感は私にとって「大学生活が始まる」とか「新しい彼氏ができた」の時と近しいもので、「自分の子を産み、育てる」ということが今までの人生でいちばん喜ばしい出来事になる、という感覚はない。

この「母性」の量の個人差、「性欲」と似ているなあと思う。以前ライターの仕事で取材させていただいたとある女性は「子どもができた時「ああ、もうセックスしなくていいんだ!」と嬉しくなった」と打ち明けてくれた。
彼女にとって「セックス」というのは子どもを作るため、パートナーから求められるからしょうがなくするもの。人生の醍醐味のひとつが好きな人と体を合わせることにあると思っている私にはまったくない感覚だった。

今日も妊婦にはあまり好ましくないとされているコーヒーを飲み(一応1日1杯を限度にはしている)、転倒のリスクが頭にちらつきながらも信号が変わりそうな横断歩道を走ってわたり、こんなに「母性」が薄くても子どもは育てられるものなのか、とふと少し不安になる。

まあただ性欲が薄くてもセックスができるように、母性が薄くても子育てもできるんじゃないかと思い直す。濃ければ濃いなりに、薄ければ薄いなりにすればいい。「誰かの母性」や「誰かの性欲」は「誰か」のもの。私は「私なりの母性」と「私なりの性欲」の範囲で、子育てを、そしてセックスを満喫していこう、そう思う。





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