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「最悪」を想定するライフハック

今度とある手術を受ける彼から「もし目覚めなかった時、自分の資産どうしよう」という話をされた。どう考えても命に係わるような手術じゃないので、彼の考える「最悪」の想定振りにじゃっかん面食らったのも事実。一方でああ彼と私、こういうところ似てるなあとも思った。

友人に話すとぎょっとされ「そういうこと考えない方がいいよ!」と必ず諭されるのだけど、私は昔から常に、「最悪」を想定する。妊娠してからというもの、いちばん知識を得たのは先天的な子の障害の種類とその症状だし、後天的に発生しえる重大な事態~たとえば窒息や深刻な病気、ケガ~もチェック済で、今は母親の育児ノイローゼについて調べている。旧2ch(現5ch)でこまめに読んでいるトピックは「子育てってしんどい」と「0歳時の発達不安吐き出しスレ」。更には乳児を抱えながら乳がんの治療をしているお母さんのブログも何本か定期的に読んでいる。

私は常に「最悪」を考える。誰かと付き合っている時も常に「相手に他に好きな人が出来たら」を頭に入れる。今の仕事についても、会社が倒産したら、日本から撤退したら。親については痴呆の症状が現れたら、深刻な病に陥ったら。ありとあらゆる、自分の身に降りかかる可能性の「最悪」を考えるのは、もはや趣味。

そして「最悪」がおきたらどうやって自分のご機嫌を保つか、をセットで考えている。もし彼から「別れよう」と言われたら、慰謝料をもらってそのお金で北欧に傷心旅行に行こう。もし子どもの泣き声で「殺意」を感じたら、次の日は子どもを預けてエステに行こう。もし親の看病を手伝うような事態になったら、月に1回は帰り際に温泉に寄ろうetc...

なおこの習慣のよいところはめったに私が想定するほどの「最悪」は起こらず、基本「ああよかった」で終わることが多いことだ。

彼が手術から無事生還したら私は心から「よかった」と思う。出産時のトラブルも散々調べたので、もし何もなかったとしたら「私はなんて恵まれているのか」と思う。

平凡な日常というのは奇跡の連続。今日も渋谷からみなとみらいの駅まで座って通勤することができ、いちども転ばずにオフィスについて、風邪気味だなあと思っていたのに特に悪化もせずに、何よりとても、機嫌がいい。

運悪く電車で座れず、駅で転び、風邪が悪化し、何だか気分が浮かない可能性もあった訳で。ああなんて恵まれた1日なんだろう、そんなことを思っている。

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