昭和旅寝の枕
いつもクソリプおじさんや、アマチュアモデルに不快な思いをさせられた話なんかを書いているので、たまには旅のことなんかも書いてみようと思い立つ。
私がカメラマンとして受けていた仕事は、旅行媒体が多かったので、人よりは多く旅をしてきたし、今の自分の撮影も旅をしながらの撮影だ。
あわよくば書籍にできるかもという皮算用も胸に抱きつつ、継続的に書けるものならば書いてみようと思う。
私の人生の旅の記憶の中で一番古いものといえば、私が小学校3〜4年生の、特急あさまの記憶だ。
そのころ、富山の滑川に伯母が住んでおり、夏休みはよく伯母のところに遊びに行っていた。
母に連れられていくときは、母と姉の後ろから付いていけばよかったので、その時の記憶はあまり残っていないのだが、忘れられない富山行きは昭和50年の春休みのこと。
なぜそうなったのかはまったく覚えていないのだが、山間部にまだ雪の残る3月末、母は私と姉を二人だけで富山に行かせたのだった。
大人の付き添いがない旅は、周りの大人が気にかけてくれ、何かと「えらいわねえ」と声をかけられたことを覚えている。
今ならば新幹線で3時間もあれば着いてしまう富山だが、当時、富山はとても遠いところだった。直江津で乗り換えた記憶があるので、おそらく特急あさまで上越に向かい、直江津ではくたかに乗り換えていたのだろう。
子供というのは、親の目がなくなると、本当にろくでもないもので、私たちは、車内販売が来ると、ここぞとばかりに無節操にジュースやアイスクリーム、冷凍みかんなどを買い求め、バカな散財を楽しんだ。
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