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小声で発狂#48 今だからこそ、力を抜いて

随分あたたかくなってきましたが、みなさまどのようにお過ごしだろうか。
僕は今、ツヤツヤのお米が炊きあがるのを待ちながらこの文章を書いている。クツクツと土鍋から音がしているのを聞きながら、キーボードをカタカタとしている。

お米が炊きあがるまでの時間で文章を書こうと思ったのは、自分にとってはわりと調子がよい証拠であるように思う。
なぜなら、文章を書くことは少なからず自分と向き合う行為であり、自分と向き合うことをはエネルギーを要することであるからだ。
向き合うことのエネルギー消費量は人によって異なるだろうが、僕はわりと消費量が大きい人間だと感じている。すぐ疲れる。

さて、ではどうして「文章を書こう」と思った文章を書いているのかという話をしたい。それなりに発見があったから書き留めたい。

まず、冬を越えて体の調子がよくなってきたことがひとつある。
ただし、ここに至るまでの経緯がいつもと少し違う。
冬期鬱という症状があるように、生物的に寒くなると不調になりやすいことは以前から知っていた。多分に漏れず僕もそうだ。
毎年、真面目でがんばり屋さんの僕の一部が「それは怠慢だ!」と責め立てるだけの悪循環に陥って、何もできなくなる。
僕はいつでも何か焦燥感に駆られていて、自分が何もしていないことにネガティブな感情を持ってしまう。この期間も老いている自分が怖いのだ。
でも、今回は考え方を改めようと思った。
「冬眠したっていいじゃないか!」と。
もちろん生活するうえで最低限やらなければならないことはある。
仕事や家事などは冬眠していては身を滅ぼしてしまう。
でも、あくまで最低限でよいのだと言い聞かせた。
今は蓄える冬眠期やからがんばりすぎないよ〜と。
誰にも迷惑はかけてないから問題なしだ。
積極的に蓄えているなら、それを怠慢だとは僕も責め立てられまい。
そうして冬を越えた。枯れそうになった植物が新芽を出すのと同時に、僕も元気が育ってきた。

もうひとつに、無駄に力が入っていることに気づけたことがある。
なんとか冬を越え、心身にエネルギーがある状態になった。
しかし、これが罠だった。
蓄えたものを放出しようとすると、なぜかうまくいかないような感覚が続いた。楽器を弾くことや、アニメを観ること、文章を書くことも、好きなことのはずなのに面倒くさくてたまらなかった。
「自分の好きなものやらなくてどうすんだ!」と責め立てられた。これについておっしゃる通りである。ぐうの音も出ない。好きなことをしないと自分としての価値がないも同然だと焦った。
しかし、やるぞ!と意気込むほど、身体がついてこない。苦しい。
あれ、僕が好きなものは本当に好きなことなのだろうかと疑い出す始末。
そうして、ゴールデンウィークを過ごし、僕は異常に疲れていた。
疲れながらも、やらなきゃと言い続けた。
それは無理なんだと気づいた。
冬を越してからずっと心身ともにエネルギーがあると感じていたから、余計に力が入ってしまっていたのだ。
何をするにもウォーミングアップがないと逆に壊れる要因になる。
何事もスモールステップから始めるべきなのだ。知っていたのに、忘れていた。

なんだか長くなってしまった。お米も炊けたようなのでここまでにしよう。
つまり、言いたかったことは
元気があっても力んでしまうとエンストを起こしてしまうということだ。

もし今その状態にあるならば
おすすめなのは、まず物理的に身体の力を抜くこと。
肩や横隔膜をゆっくりとほぐして、大きく呼吸する。
そして、呼吸をしながら心の緊張に気づいてあげること。
大丈夫と言ってあげること。

力が抜けた状態だと、勝手に好きなことをやり始める。
このお米が炊けるまでの間に書いたこの文章が証明している。
お味噌汁作りたかったのに、つい書きすぎてしまうくらいには、僕はちゃんと書くことが楽しいのだと再認できてよかった。

では、炊き立てのごはんが冷めるまえに、お味噌汁をつくります。


#48 今だからこそ、力を抜いて

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