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9.バルナウルTASSからの通信

バルナウルという町はシベリアでもかなり大きな工業都市だ。
ここには大きな空港があって、2001年にUFOがホバリングして90分間空港が閉鎖になったと、インターファックス通信が伝えたことで、UFOファンには有名な場所になった。
 ヒカシューが来ることはかなりなニュースになった。テレビが2局取材にはいり、本番前には地元のラジオ番組に出演した。パーソナリティーが知っている日本のアーティストは喜多郎ぐらいだったのか、「喜多郎には影響受けていますでしょうか」という質問があった。まったく受けていないのだけど、単純にノーというのは悪い気がするものだ。「観たことはありますよ」と答えた。ニューヨークのラジオシティホールで、確かに見た。喜多郎が大きな和太鼓を連打するクライマックスだった。もうひとつは「マハビシュヌ・オーケストラの影響はありますか?」というものだった。嫌いではない。だが、どちらもぼくにはヒカシューの音楽からとても連想できないので、彼らのちょっとずれた感覚に興味を持った。
 ヒカシューの演奏する会場は、TASSというレストランライブハウスだった。タスといえばソビエト時代から有名な通信社だが、まさか同じ名前なのか。なかなか洒落ている。もっともレストランに名前があるということがロシアでは最近のことのように感じられる。かつては、たいてい単にレストランとか食堂(スタローバヤ)とかパン屋(フレーブ)いう風になっているだけであった。名前はなかった。お店(マガジン)というそっけなく書いてあるのが、ロシア風なのである。
 TASSのオーナーはミーシャ(ミハイルの愛称)というだみ声の、まるでトム・ウェイツのようなかっこいい男である。ここはグリルが売りのレストランでかなりうまい。しかも出演者にはどんどん飲み物も食べ物も出てくる、気前のいい素晴らしい店である。おそらく日本からのバンドは初めてなのだろう。とにかくみんな興味津々なのだ。そのもてなしからびんびん伝わってきた。
 演奏がはじまると、じわじわと何か特別な感じが伝播していったのか、食事していた人たちもライブスペースの方に集まってきた。ヒカシューのスタイルは、決して突飛な音楽ではない。十分に親しみやすいと自負している。たぶんぼくはいつもと違う強度で何かを表現しているのだろうけど、基本的には日本でのステージと変わらないと思う。即興演奏はたぶん多め。というのも即興はその時々を映し、変幻自在に変化させられるからだ。
 演奏後、ミーシャは大喜びだった。「次はいつ来るんだ?」
と言っている。
 ぼくは珍しくウォッカをいただく、「なんておいしいウォッカなんだ」軽く3杯くいっといったところで、三田超人に止められた。「それ以上はダメ」。
 明日はノボシビルスクだ。(2011年10月4日あたり)

巻上公一 


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