ヒカシュー21世紀イラスト

21世紀ヒカシュー座談会

『20世紀ベスト』『21世紀ベスト』発売記念 2018

 40年におよぶヒカシューの歴史においても、2005年に始まる現在のラインナップは歴代最長となる。その変遷をたどると、結成当初からのメンバーである巻上公一と三田超人、1982年加入の坂出雅海、そして2002年に清水一登と佐藤正治が招かれ、現在の姿となった。あわせて、長らく途絶えていたアルバム制作が再開され、2006年の『転々』からはコンスタントに作品を発表している。顔ぶれは同じとはいえ、長きにわたる活動においては数々の変化もあった。その移り変わりについて、現メンバーに語ってもらった。(聞き手 安達ひでや)

21世紀ヒカシューの誕生

———まず最初に、ヒカシューが現在の姿になるまでのいきさつからお聞きしたいんですが、今のメンバーになったのは21世紀になってからなんですか。
巻上 そうです。じつは13年間アルバムを出していない時期 ※1っていうのがあって……
———13年間アルバムを出していないというのは、一般的には活動していなかったということになりますよね。
坂出 ただ、その時期もライブはやっていたんです。
三田 かなり活発にやっていたよね。
巻上 ライブはやっていたんですけど、アルバムがなかなか作れなかった。メンバーとも話し合って、新しい人を入れたいねってことになって。それである時、ぼくが清水(一登)さんと(佐藤)正治さんを誘ったんです。横浜のジャズクラブで自分のライブをやることになったので、来てもらったんですね。
———もうその時は最初から、ヒカシューに入ってもらうつもりだったわけですか。
巻上 そうそう。そのつもりで声をかけたんだけど、三人で即興演奏をやってみて、もうはっきりと確信できたんです。それが今のヒカシューの出発点ですね。
坂出 二人を誘ったことは、すぐ連絡があったんだよね。ライブの直後に巻上さんから電話をもらったから。
巻上 われながら仕事が早い(笑)
坂出 答えが出たって感じでね。実にすっきりした調子で。
———皆さんはそれぞれ、もうその時点で面識はあったわけですよね。
巻上 みんな昔からの仲間なんですよ。
———メンバーに誘われたことについては、清水さんと佐藤さんはすぐに承諾されたわけですか。
清水 ええ。ヒカシューに入るってことでは驚きましたけど、一緒に演奏すること自体には何の問題もないので。
———もう仲間だったので、自然な流れで加わったわけですね。佐藤さんはどうだったんでしょうか。
佐藤 誘われたことはうれしかったけど、当時ヒカシューのドラマーは新井田(耕造)さんだったから、ぼくは何をやればいいんだろうって思ったんです。それで巻上さんに聞いたら、ドラムでもヴォイスでも、何でもやりたいことをやってくれればいいって言われて。こんな幸せな誘われ方はないと思って、もちろん快諾しました。
巻上 それで二人に入ってもらったんだけど、2005年に今度は新井田さんがヒカシューを脱退されて。ブルースのバンドに専念したいということと、お母さんの介護などもあって、それ以外の活動はいったん整理したいってことでね。それで今の五人になりました。

※1 13年間アルバムを出していない時期 : 1993年に『あっちの目こっちの目』『超時空世紀オーガス02』(どちらも徳間ジャパン)を出した後、新曲のアルバムは2006年の『転々』(makigami records)まで出なかった。しかしその間も、ヒカシューデビュー前の音源をCD化した『1978』(東芝EMI)や、セルフカバーアルバム『かわってる』(東芝EMI)、未公開音源集『HIKASHU HISTORY』(TZADIK)等の発売、過去のアルバムの再発などは続いていた。

『転々』 偶然から生まれた成果

———その13年ぶりのアルバム『転々』(2006年makigami records)ですが、これが出たときは本当に驚きました。それまでのヒカシューとはまったく違っていたので。
巻上 これはすべて即興演奏の作品なんですけど、そうなったのには事情があるんです。ニューヨークで録音したんですけど、それはまずぼくがJohn Zorn ※2のやっているThe Stone ※3っていうライブスペースで一週間のレジデンシー※4を頼まれたんですね。それで、せっかくだからヒカシューで行きたいなと思って、予定を組んだんです。ところが、直前になって清水さんが行けないことになって。
清水 急な事情ができてしまって。
巻上 それで、曲は用意してあったんだけど、清水さんがいない状態で録音するのも気が進まなかった。ただスタジオは取ってあったから、四人で出来ることということで、即興で演奏していった。すると、それが思いがけずとても良いものになったので、そのままアルバムにしたんです。
———そうやって出来たのが『転々』なんですね。いわば偶然から新しい展開が生まれたというか……
巻上 そうそう。即興で録音していくというのが、新しい路線になった。
———それはメンバーの皆さんにとっては発見だったわけですか。
巻上 まさしくそうですね。
佐藤 本当にもう、こんなことが起こるんだって感じで。
坂出 もう歌詞も何もいっさいない状態から、その場で思いついたことを演奏していったわけだから。まさに新しいスタイルがスタジオの中で生まれてきた。
佐藤 アルバムの曲順も、演奏したそのままだしね。
巻上 本当に自然な流れで生まれたんですよ。あとやっぱりニューヨークという街の雰囲気もあったと思います。スタジオも協力的で、ぼくたちがやろうとしていることを理解してくれた。そのおかげで全員でいっせいに演奏して、それをそのまま録音できたんです。
———そうした変化は、ライブにどのような形で反映されたんでしょうか。
三田 その後は、ライブでも演奏する曲を事前に決めなくなったよね。
巻上 ある時から、事前に決めなくてもいいんじゃないかってことになって。そうなってからは即興もかなり長くなった。20分くらい即興をやって、まだ曲に入らない、みたいな感じになって。
———即興演奏そのものは昔のライブでもありましたけど、曲と即興の区別がはっきりしていました。それが今のヒカシューだと、もうまさに混沌という感じですよね。さらに面白いのは、昔の曲にも即興の要素が入ってきたということなんですが。
巻上 そのところは、清水さんと正治さんが、ヒカシューで何をやったらいいのか、ふたりの中で決まってきたことが大きいと思いますね。
佐藤 そうそう。
巻上 ちょっと特殊なところがあるし、古いグループだしね。そのヒカシューで何をやっていくかっていうのは、ふたりの中でテーマになっていたと思うんですよ。それで、何をやってもいいんだってことに、どこかで気付いたんじゃないかと。
———歴史のあるグループだと、後から入ったメンバーはなかなか難しいところがありますよね。どうしても比べられてしまいますし。前のメンバーと同じように演奏してほしいとか言われたりするわけで。ところがヒカシューの場合は、後から入った清水さんや佐藤さんにはそういう感じはなくて、昔の曲にしてもいったん解体されて、今の五人の雰囲気に作り替えられたような印象を受けました。
巻上 まさにそれこそ、ぼくが二人に求めていたことだったし、可能だと思ったから参加をお願いしたんです。
———『転々』の場合は、すべて即興ということですが、曲に思えるところもありますね。
坂出 歌詞も何もかも、その場で出てきたものなんですよ。
巻上 ぼくが歌いだすと、みんなが楽器でついてきたりして。そうやってできた作品なんです。

※2 John Zorn: アメリカN.Y.を代表するサックス奏者、作曲家、編曲家、インプロヴァイザー、バンドマスター。フリー・ジャズ、前衛音楽、グラインドコアなどの様々な音楽を吸収しており、ジャンルを特定するのは困難。世界のフリーミュージックに多大な影響を与え続けている人物。自らのレーベル「TZADIK」で、数々のミュージシャンをプロデュースし、また自らの作品も含め、夥しい数のアルバムを発表し続けている。
※3 The Stone : John Zornが運営するN.Y.セカンドストリートにあった前衛音楽のためのライブスペース。2018年よりThe New School内に移転。
※4 一週間のレジデンシー: 巻上公一がThe Stoneで行った1週間のライブ。毎回日替わりでメンバーを替え1日2回ずつ公演を行った。2005年12月4日~12月11日 MAKIGAMI KOICHI FESTIVAL

『生きること』 過去と現在の融合

———その『転々』の次に出たのが『入念』のシングル(2006年 makigami records)ですが、これは即興性があまりない作品ですね。
巻上 以前のスタイルに戻った感じですね。これはそもそも古い曲なんです。その後にシングルで出た『鯉とガスパチョ』(2009年 makigami records)もそうなんですが。
坂出 アルバムを出していなかった間も、曲はいろいろ出来ていたんです。それで、そういう古い曲も出しておきたいと思ったんですよね。
巻上 「入念」は坂出さんの曲なんですけど、とにかく時間がかかった。
坂出 10年くらいはかかったかな。
巻上 「鯉とガスパチョ」も昔の録音が元なんです。正治さんにパーカッションを重ね録りしてもらったりして。
佐藤 そうそう。
———それでアルバム『生きること』(2008年 makigami records)ですが、前作にひきつづきニューヨーク録音ですね。
巻上 前回行った時に手ごたえがあったのと、やっぱり清水さんもそろった形で改めて行きたいって思ったんです。なにしろ、清水さんにとっては久しぶりのニューヨークだったから。
清水 30年ぶり……いや、もっと以前かな。若い頃に住んでいたんですよ。
三田 ニューヨーカーだったんだ。
巻上 この時の清水さんが面白かった。この場所は知ってるぞって感じで、どんどん先を歩いていくんだよね。
三田 みんなその後をついて歩いていて。
巻上 ずいぶん久しぶりのはずなのに、地元の人みたいになっていた(笑)
清水 スタジオのあった場所がちょうど、若い頃に歩き回っていたあたりだったから、ついそんな感じになっちゃって。
———まったく新しい『転々』の後に『入念』で以前のスタイルに戻って、そしてこの『生きること』で、その両方が融合された形になったように思えます。曲もあれば即興もあって、いろんな要素が入っている。
坂出 「生きること」という曲自体がポイントになっているよね。この曲は今のスタイルじゃないと出来なかった。
巻上 そうそう。サインとかを出しながら進行する曲だから。
———このアルバムからは清水さんも加わっているわけですが、その清水さんのピアノがまたかなり前面に出ていますね。
坂出 やっぱりヒカシューっていうとシンセサイザーの印象が強いから、そこをどう変えていくかってことがあったんだけど、清水さんはもう、そういうことをまったく気にしていなかった。それこそ、どんどん弾いていく感じで。
清水 まあ、そういう風にしかできないってこともあるんだけど……やっぱり最初は、ヒカシューを聴きに来てくれているお客さんに自分の演奏がどう思われるかってことは気にしていました。ただそう思いつつ、一緒に演奏している他のメンバーの音を聴くと、全然そういうことを気にしていない感じなんだよね。
一同 (笑)
清水 問題を感じていないというか。そのおかげでこっちも、とても自由になれました。
巻上 そこのところはぼくも考えていて。やっぱり、好きなようにやってもらうには、こっちが自由にならないといけないと思ったんですよね。
———どんどん自由にやっていくというのは、佐藤さんも同じですね。
佐藤 ドラムに関してだと、ヒカシューの場合は、たとえ歌があっても自由に変えられるのがすごいことで。どんなことになっても、巻上さんは対応できるから。そういうところに気を使わなくてもいいっていうのは、解放された気持ちになる。
巻上 こっちはもう常に、気を使うな気を使うなっていうメッセージを発してるから(笑)
———ふつうは、歌の伴奏ということだと、歌との兼ね合いを考えないわけにはいかないですよね。
三田 バックがちょっと変わったことをやると、ボーカルが歌えなくなるってことはある。
坂出 いつもと違う和音が来たりするとね。
巻上 こっちも歌が伸びたり、小節が変わったり、いろいろやるんだけど、ただそれでも、みんなついてきてくれるし、それが面白い。そもそも、同じことやっても仕方がないという考えが根底にあるから。
清水 ぼくなんかは、やっぱり即興演奏が好きだから、それをもっとやりたいって気持ちはあるんだけど、一方で構成のある音楽も好きなんだよね。それで、即興が自由だっていうなら、そこに構成された音楽を持ち込んだりしたっていいはずで。それが実現できるっていうところが、ぼくがヒカシューに入っていちばん面白いと思っている部分ですね。

『転転々』 テクノロジーと新たな形の即興

———『転転々』(2009年makigami records)になると、皆さんがもう、何も言わなくても通じ合っているという感じがします。
坂出 実は、このアルバムは『転々』とは似て非なるものなんですよ。いろんな手法を試したんです。
巻上 それまでニューヨークで録音したものの中に、アルバムには入らなかったけど出来のいい素材がいろいろあったんです。『転転々』には、そういう昔の録音に手を加えたものもあれば、完全に新しく録った曲も入っているんですが、この頃にはネットがかなり実用になっていたので、遠隔地でファイルをやり取りして作ったりもしました。
坂出 いろんな即興演奏の録音を組み合わせたりとか。
清水 即興をやるうえで、みんなが同じ場所にいるという原則からも自由になってしまったわけで。
三田 本当だ(笑)
清水 『転々』の録音に音を足したりしたんだけど、それもまた即興だったしね。もうそうなると、コラージュでもあり、ミュージック・コンクレート※5 みたいなところもある。
———それはまた、エンジニアを務めた坂出さんへの信頼でもあったわけですね。
巻上 そうそう。このアルバムで、録音の技術的な役割は坂出さんが担うということが決定的になった。
佐藤 たとえば「ニコセロン」という曲のドラムは坂出さんに録音してもらったんだよね。
坂出 あれはうまく録れた。
佐藤 まず巻上さんが作ったトラックがあって、それに音を重ねていったんだけど、巻上さんたちはまた別のところにいて、並行して作業していた。
巻上 ファイルをそれぞれ送ってね。
佐藤 ふたつのチームに分かれて、別々の場所で同時に作業していて。巻上さんは三田さんと一緒にいて、こっちはぼくと坂出さん、清水さんの三人だった。
坂出 それで、お互い相手の録音を聴いては、そう来たかって感じで(笑)
巻上 興奮してやっていたよね。
佐藤 あれは面白かった。
———その次に出たシングル『ニコセロンPart3』(2011年 makigami records)では、三田さんが歌っている「青すぎるジャージ」という曲が昔のヒカシューを思わせるところがありますね。
三田 そういうのも昔からの流れでいいんじゃないかと思ったんだよね。
———デビュー当時からのファンとしては嬉しい趣向でした。

※5 ミュージック・コンクレート: 1940年代後半にフランスでピエール・シェフェールによって作られた現代音楽のひとつのジャンルであり、音響・録音技術を使った電子音楽の一種。人や動物の声、鉄道や年などから発せられる音、楽音、電子音、楽曲などを録音、加工し、再構成を経て創作される。

『うらごえ』 曲づくりへの様々なアプローチ

———『うらごえ』(2012年 makigami records)では、また雰囲気が新しくなった感じがします。
巻上 この時からスタジオが変わったんです。場所は同じニューヨークなんですけど、それまで使っていたスタジオがなくなってしまって、新しいところを探さないといけなくなった。ただ心当たりはあって、それが East side soundっていうスタジオなんです。それ以前にも別の作品で使っていて、とても良かったのでヒカシューでもお願いすることにしました。ここにはマーク・ウーゼリ(Marc Urselli)※6という若いエンジニアがいるんですが、彼の仕事ぶりに感動してしまって。
佐藤 ここは機材も素晴らしかった。マイクは貴重な古いものから最新モデルまでそろっていて。ドラムもビンテージのものをお願いしたんですが、もう信じられないくらいに状態の良いものだったんですよ。
巻上 このアルバムではマスタリングをオノセイゲン※7さんにお願いしたんですが、その縁でDSDによるハイレゾ配信※8も始まりました。
———この時の曲作りというのは、もう海外にいる間に書いていったわけですか。
巻上 そうですね。ニューヨークにコンドミアムを確保して、みんなで合宿しながら曲を作りました。
———合宿して曲作りというのは、若いバンドならともかく、今のヒカシューでは新鮮なやり方でしたね。
巻上 まさにその通りで、そこから新しい挑戦が始まった感じでした。みんなで一緒にいて、詩を書いたり曲を作ったりしたんです。
三田 このアルバムにはニューヨークで作った曲が多く入っているよね。
———作曲のプロセスなんですが、ヒカシューの場合、まず巻上さんが詩を書いて、それをメンバーの皆さんに見せるわけですか。
巻上 そうです。
———その時点では、誰が曲を担当するかは決まっていないわけですよね。
巻上 決まっていません。
———そうなると、同じ詩に複数の人が曲を付けたりすることがあるんじゃないですか。
巻上 それはよくあります。だから、曲だけ余っていたりしますよ。
———その場合、どういう感じで曲を決めていくんですか。
巻上 それはもう……
三田 すんなり決まる。
巻上 みんなで聴いて、自然と決まる感じですね。
———詩を書いた巻上さんとしては、いろいろ予測したりするんですか。この人はこういう感じの曲を作るだろう、とか。
巻上 まったくないですね。そもそも歌のつもりで考えてないんです。ただ詩を書いていて曲まで浮かぶこともあるので、そういう時は自分ですべて作ります。
———作詞・作曲とも、巻上さんになっている曲がそうなんですね。
坂出 その辺は決まったやり方ってないんです。ぼくも曲が先に浮かんで、後から巻上さんに詩を付けてもらうこともあるし。
巻上 ぼくの方でも、せっかく曲を渡されても、詩が思いつかないこともある。そのあたりはもう仕方がないですね。
———詩と曲を別々の人が書いていると、たとえば詩を書いた人がイメージしていたのとはまったく違う曲になったりして、そういう面白さはありますよね。
巻上 その通りです。出来てきた曲によって詩の構成をさらに変えたりということもあったりしますね。

※6 マーク・ウーゼリ(Marc Urselli): NYでフリーで活躍するレコーディングエンジニア、音楽プロデューサー、サウンドデザイナー、作曲家、音楽家である。Tzadikの録音はすべて彼が行っている。3度グラミー賞を受賞している。
※7 オノセイゲン 日本を代表するレコーディングエンジニア、音楽プロデューサー、作曲家。
※8 DSDによるハイレゾ配信 : https://ototoy.jp/feature/20120418

『万感』『生きてこい沈黙』『あんぐり』 海外ツアーで見えてきたもの

———『うらごえ』でいったん熟成されたものがあって、その勢いがそのまま『万感』(2013年 makigami records)につながったというのは、大いにうなずけるものがあります。『万感』もそうですが、自信がよく表れているんですよね。
清水 この時はカナダをツアー※9したんです。
佐藤 最初にナイアガラに行って……
巻上 次にトロントに移動して。
三田 カナダツアーと並行して曲作りをしていった。
巻上 ツアーをやって、みんなの気持ちが盛り上がったところで、そのままニューヨークのスタジオで録音したんです。
———その次にミニアルバムの『チャクラ開き』(2013年 ブリッジ)が出ていますが、これにはチャラン・ポ・ランタンが参加していますね。
巻上 毎年12月にクリスマスのイベントをやっていて、それに出てもらったんです。それで、せっかくだから何か一緒に作ろうということになって。
佐藤 この作品でも、いろんなやり方を試していて。ツアー中に録音したりしています。
巻上 『万感』に入らなかった曲にもいいものがあったので、こちらに入れたりもしました。
———このメンバーだったら、本当にいろんなやり方ができるということですね。次の『生きてこい沈黙』(2016年 makigami records)ですが、まさに海外ツアーの影響が出ている印象があります。
巻上 ツアーでアルタイに行ったんですけど、その時にいろんなアイデアを得たんです。そこから出来上がった部分が多いですね。
坂出 2011年から本格的な海外ツアーに出るようになったんですが、その中でもトゥバやアルタイ※10に行けたのは収穫でした。巻上さんが熱心に通っているシベリア地方にようやくみんなで行くことができた。そうして初めて、巻上さんが見たり感じたりしていた風景を、ぼくたちも共有できたわけで。
巻上 この五人で共通する体験を持つというのが重要だと思ったんです。言葉とか音楽にどう具体的に出てくるのは分からないけれど、そこから生まれるものは大きいんじゃないかと。
清水 たとえばテングリにしても、実際に接していれば何らかのインスピレーションを受けるわけで、やはり違いはあると思います。
巻上 テングリというのはアルタイにある一種の自然崇拝、青空信仰のことで、このアルバムで曲の題材にもしたんですが、ジャケットのイラストにもそれを表現してもらっています。マンガ家の逆柱いみりさんによるイラストレーションなんですが、これがまた素晴らしい出来で。
三田 マンガまで描いてもらったよね。(冊子『詩画集 生きてこい沈黙』に収録)
巻上 アルバムのカバーを頼む時に、作品の素材を前もって渡しておいて、それから描いてもらうというやり方は以前にも『生きること』で逆柱さんに、それから『うらごえ』でも現代美術作家の束芋さんにお願いしたことがあります。いろいろ準備もあるので、どうしても時間がかかってしまうんですが、それ以上の成果が得られました。
———そうやって皆さんの結束がより高まったところで、いよいよ最新作の『あんぐり』(2017年 makigami records)なんですが、これはどういうきっかけから生まれた作品なんでしょうか。
巻上 まず、元メンバーの井上誠さん※11が主宰するユニットで、ヒカシューのメンバーも全員参加している「ゴジラ伝説」のニューヨーク公演※12が決まったことがあるんです。主催はジャパン・ソサエティというところで、ヒカシューのライブもお世話してもらったことがあるんですが、そこにゴジラ伝説の話を持ちかけていて。何年もかかったけれども、それがようやく決まったんです。また、その時にはもうゴジラ伝説の新しいアルバムを出す話も決まっていたので、だったらそれもニューヨークで録音しようと思ったんですね。それでいつものスタジオ、イーストサイド・サウンドを手配して。その時にヒカシューの新作も録音したんです。
———同じ時期にはオセアニアツアー※13もあったそうですね。
巻上 ニュージーランドとオーストラリアに行ってきました。当たり前のようですが、ヨーロッパやシベリアとはまた違う感じでしたね。それに、やはり独自の即興シーンがあって、その中にいる若い人たちが企画してくれたライブもたくさんあって。そういう状況で演奏できたのも刺激になりました。

※9 カナダをツアー :  2013年5月トロント、オタワ、ジョンキエール、ケベックなどで公演。
※10 トゥバやアルタイ : ロシア連邦トゥバ共和国、アルタイ共和国。ヒカシューは2011年9月から10月にかけてツアーをしている。巻上公一はホーメイやカイといったこの地域に伝わる歌唱法の研究と文化交流、招聘活動を20年以上続けており、日本トゥバホーメイ協会の会長もつとめている。
※11 井上誠さん : ヒカシュー結成からのオリジナルメンバー。ヒカシューを代表する数々の名曲と名演を残し、1991年脱退。ゴジラとゴジラ映画の作曲家としても知られる伊福部昭の研究家として、資料収集、数々のアルバムやコンサートのプロデュースを行っている。ゴジラ音楽を捉え直す試みとしてアルバム『ゴジラ伝説』を5枚発表しており、ヒカシューが参加している。最新作はNYで録音した『ゴジラ伝説V』(キングレコードKICC1386)。
※12 「ゴジラ伝説」のニューヨーク公演 : 2017年4月28日、Japan Societyにて公演。
※13 オセアニアツアー : 2017年2月ウェリントン、オークランド、メルボルン、シドニーで公演。

ベスト盤と、これからのヒカシュー

———それでは、最後の締めくくりということで、皆さんから一言ずつお願いします。
坂出 ぼくがヒカシューに入って36年になるんだけど、その間いろんなことがあって。バンドとしてまとまりのある時期もあれば、試行錯誤の繰り返しだったこともあるんだけど、そういう時期を経て、今のこのメンバー、このスタイルに固まったわけで。そのおかげで、ぼくにとっては今こそが、本当にいちばん充実した時間を過ごせていると思っているんです。それで、この場であらためてその過程を見てきたわけですが、皆さんにもぜひ『21世紀ベスト』を聴いていただいて、そうした変化を感じとってもらえれば嬉しいですね。
佐藤 これまでの活動を振り返ってきたわけだけど、アルバムっていうのは、それぞれの時期のエネルギーを凝縮したものなんです。その意味で言うと、このベスト盤には10年以上の時間が凝縮されていることになる。だからこそ、すでに知っている曲でも、異なる時間軸で聴くことで、また違ったものが見えてくるんじゃないかと。その意味でぼく自身も楽しみだし、皆さんにも21世紀のヒカシューを、また別の観点から感じてもらえればと思います。
清水 ぼくの場合、普段の生活であれこれ考えたりすることってあまりないんだけど、今回のベスト盤が出ることになって、さすがに考えるところはありました。なんせ、長い時期の活動をまとめたものなので。もちろん入っている曲はどれも知っているけれど、この形で聴けば、これまでとはまた別のものが浮かんでくると思うんですよ。つまり、まったく違ったインスピレーションが得られる。それと同時に、これは個人的なことだけれども、自分がヒカシューに入ってからやってきたことを、音という形でまとめて浴びることができるわけで、そのところも楽しみです。
三田 ぼくはヒカシューに40年間ずっといるので、今回の『20世紀ベスト』と『21世紀ベスト』の両方にもすべて関わっていて。その意味で言うと、同じヒカシューでも20世紀と21世紀でずいぶん違うなとは思う。それで、今回2種類のベスト盤が出たことで、その両方を並べて聴けるようになったのは良かった。いってみれば、俯瞰できるようになったわけだから。そのことを踏まえていうと、これからのヒカシューは、この両方がもっと混合した感じになっていくような気がしている。少なくとも個人的には、そういうものを作ってみたいですね。
———ヒカシューを俯瞰するのは、三田さんにしかできないことかもしれません。同じ結成当初からのメンバーでも、巻上さんはまったく真ん中にいる感じですから。
巻上 なんせ、盛り上げ役だからね(笑)。やっぱりプロデューサーとしては、みんなのモチベーションをどう高めていくか、そこのところが常に頭にあるから。今回のベスト盤ですけど、これはまったくのファンサービスなんです。とにかくヒカシューというと、長くやっているから仕方ないんだけど、アルバムがたくさんあるでしょう。興味はあっても、どれから聴いたらいいのか分からないっていうのは普通にあったと思うんですよ。そういう声に応えたいということで企画しました。それで、これからの活動だけど、これはまあ世の中との関係もあるので、今後このバンドがどういうポジションにいるのか、そういうことも重要になってくる。やっぱり社会の中にいて、ものづくりをしているわけだから。ただ、こういう感じで存在しているバンドってなかなかないと思うので、なんとかうまく軌道に乗せていきたい。そこのところを頑張っていきたいですね。
———ありがとうございました。

2018年10月 福岡・アダチ宣伝社にて収録

安達ひでや

福岡を拠点に活動するパフォーマー、オーガナイザー。アダチ宣伝社代表。チンドン屋、新聞雑誌のコラム執筆、テレビ番組のナレーションなど多方面で活躍中。デビュー以来のヒカシューファンであり、2010年以来毎年恒例となったヒカシュー九州ツアーの主催者でもある。

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