「アヴェマリア」が流れてる
「アヴェマリア」が流れている。午後4時半だ。バッハのプレリュードにメロディを乗せたシャルル・グノーの名曲である。これは湯河原町の防災無線である。町の中から山の上まで、隣接するたいした性能ではないスピーカーから一斉に流れるので、音の配送のずれによってモアレを起こして、まったく美しくない「アヴェマリア」で町が覆われる。
その隣町の熱海市では、昼にシューベルトの「菩提樹」、夕方にはドヴォルザークの「家路」が、抒情を排した打鐘式音源のチャイム音で暴力的に鳴り響く。
わが家は、湯河原と熱海のボーダーに建っているので、それが混じり合った時の捩れ方たるや、もう。
この国がカルト集団に政治を乗っ取られていたことを国民が知っても、関連議員はのほほんとやり過ごし、暴動も起こらない平和な国である。
これしきのチャイムで目くじら立ててもどうにもならない。。
そういえばあがた森魚がデビュー50周年で、「NHKの紅白にでたい」と呟いていたのに、「紅白歌合戦の選考にあたっては、今年の活躍、世論の支持、番組の企画・演出という3つの点を中心に、総合的に判断いたしました」とのことで、出れなかった(現時点でたぶん)のは、残念である。
毎年、紅白を見る前に、蕎麦を自分で粉から打つのが定番なので、紅白に誰が出るのかは重要である。あれは真剣に見ないし、見ない年もあるのだけどね。
それに、あまり芸能界の裏側を知りすぎると余計なものに巻かれるので、わざと鈍感にしている年末の光景である。
しかし、なんで蕎麦は自分で打つのが一番うまいんだろうか。どんな有名蕎麦店よりも格別うまい。
もう男女の区別を語るのも微妙になったのに、いまだに紅白対抗は笑止だろうが、おおたか静流とアルタードステイツと一緒に、ふたり紅白歌合戦をやったことが思い出される。あんなに他人の曲を歌いまくるのは、気が合ってたし、たのしかったなぁ。
さて、2023年は、どうなるだろうか。
昨年、大地の芸術祭で制作した「カバコフの夢を歌う」の録音を世に出す準備をまずしなければならない。発売は春頃になりそうだ。
出版予定の第二詩集もその頃になるだろう。
ヒカシューデビュー40周年からはじめたマンスリーライブは、五年目に突入する。一年目は、回顧。二年目は、新曲。三年目はゲスト。四年目は曖昧という感じに続けてきた。
五年目は、実験でいこうか。この先もっとはみだしていきたいものだ。
今年もよろしくお願いします。
巻上公一
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