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(53)サロン・デュ・ショコラ東京~MOF Philippe Rigollot(フィリップ・リゴロ)さんとの出会い その2

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【※写真はパリ在住時に訪れたサロン・デュ・ショコラ。
この時はサロン・デュ・ショコラ東京で仕事をするようになるとは夢にも思いませんでした】

先週もお話させていただいたように、
2012年に、初めてサロン・デュ・ショコラのアテンド通訳をさせていただいたのは、
同じく初出店のMOFパティシエPhilippe Rigollot(フィリップ・リゴロ)さんでした。

2005年 パティシエのワールドカップであるクープ・デュ・モンド優勝
2007年 MOF(フランス国家最優秀職人)
2008年 フランスのシェフ・オブ・ザ・イヤー
に選ばれる等、数々のタイトル保持者です。

パリ郊外で幼少期を過ごし、
放課後、お母様が働いていたブーランジェリーによく遊びに行って
クロワッサンやパンを作らせてもらっていたのが、
14歳でこの道を志した契機になったそうです。

早くに目標としていた「ルノートル」で働くことになり、
着々と実力をつけて、認められていきます。

ルノートル・グループ内のレストランでパティシエに就任、
その後ミシュラン1つ星のレストラン「メゾン・ピック」にスカウトされ、
シェフ・パティシエに就任、新たなキャリアを積みました。

2010年、フランス東部、湖の美しい街Anncy(アヌシー)に移り、
同じくパティシエールだった奥様と自らの店を持ちます。
その流れの中、2012年、
サロン・デュ・ショコラ東京にMOFパティシエとして招聘されたのです。

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【※写真は、リゴロさんのショップ。2012年当時】

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素晴らしい経歴の持ち主ですが、
同じブースでご一緒させていただいた印象では
真摯に仕事に取り組み、なにより家族を大切にしている心優しい青年でした。

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MOF(フランス国家最優秀職人)タイトルは
MOFにだけ許されるトリコロールの襟に象徴されるように
フランス国家の文化継承の一役を担う輝かしい栄誉とともに、

レシピの提供や大手の商品開発に関わる等
多くのビジネスチャンスを
もたらしてくれます。

が、店を経営しながらのMOF挑戦は、
その課題の多さ、難易度の高さ、審査過程が長期に及ぶことから、
時間の面でも、資金面でも、かなりの犠牲を余儀なくされます。

基本的に4年に一度の開催、3回までの挑戦しか許されず、
(リゴロさんと会話した2012年当時の情報)
「もし、一度で取得できなかったら、二度目の挑戦はしなかったかもしれない」
と、彼も話していました。

リゴロさんがMOFを取得した、2007年の最終選考のYoutube映像をみたことがあります。
まるで、映画の一場面のようにドラマティックでしたので
ここでご紹介しようとしたのですが、Youtube上から探せなくなっていて残念です。

課題のピエスモンテ作成中、残された時間は20分程くらいだったでしょうか、
アクシデントが起き、そのオブジェの上部半分が崩れ落ちてしまうのです。
(※ピエスモンテとは

https://el-printemps.com/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86.html

あまりのショックに、顔面を硬直させ、会場の外に出てしまうリゴロさん。
控えていた奥様が、彼の背中を摩りながら、なにか話しかけている・・・

深呼吸して、会場にもどり、
残ったオブジェから、彼は最後の瞬間まで黙々と作業を続けました。

その時、彼の脳裏には、タイトル云々よりも、
「今、この像を可能な限り美しいものに完成させる」
という思いしかなかったのではないでしょうか。

審査結果発表、
自分の名前が呼ばれ、
「信じられない」と言って号泣する姿に
パソコンの前の私も号泣してしまいました。

そのYoutube映像の最後に審査員の一人のインタビューがありました。
「彼の最後のリカバリーも評価されるべきだが、
それがあってもなくても、彼の技量と品格は
MOFにふさわしいものだった」
というコメント。
MOFタイトルの神髄を垣間見た気がしました。

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【※写真は、
Anncyを訪ねて行ったときに案内してもらった地元特産の蜂蜜やチーズが
美味しかったマルシェ。】

Anncyという土地の生活を楽しみ、
「自分の在りたい姿」をしっかりイメージできている人の暮らしぶり。
勿論、テクニックもビジネスとしても飛躍しているのでしょうが、
今、久しぶりにあっても、きっとそのライフスタイルは変わっていないんだろうな。

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