見出し画像

静けさの訪れる場所

「静けさ」という言葉が好きだ。

それは、一見「ない」とされるものに、「存在」の認知を与える言葉だから。

静けさは「ある・ない」の世界とは違う。「出現する」ものなのだ。そしてその「出現」というものは、見えない何かの共同作業によって訪れる。

スノードーム、と呼ばれる、雪の降る様子を楽しめるガラスの球体があるけれど、あの、雪たちがひらひらと舞い降りたあとの静けさが好き。すっかり静かになって、いまなら真っすぐ、受けとめることができるよ、というくらい、空間に満ちた時間のたまらない豊かさ。

眠る前、目を閉じたあとで、この静けさを私の中に招くこと。

そのイメージを抱いた時に、私の思考の世界は、交通の絶えない道路のように、何かの行き交う音が常に響き渡っている。雑踏のように、落ち着きなく、忙しなく。時間に追われているようで、時とは調和していない、落ち着かない感じの音が。

そしてその思考の立てる音がうるさいので、私はスノードームをイメージして、自分のマインドの世界に、静かに雪が舞い降りるだけの時間をじゅうぶんに取ろうとつとめる。

そんなことを考えていると、あっという間に、夜中。

早く起きて走りたいけれど、早朝の気温は3度。冷えてしまうだろうかと、身体に呑気に語りかける。

やすもう。静けさとともに。