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はじめる。


書くということは昔から好きだった。

私の頭の中は随分とっ散らかってるなと自分でも思う。
実のところモヤモヤとしたものをモヤモヤとしたまま頭の中にストックしておくことはそんなに嫌いではなかったりもする。
それらがある日突然繋がって明確なイメージが浮かび上がることもある。
文章としてまとめるとあんなにごちゃごちゃに見えてたもの達がそれなりの立派な棚にお利口さんに並んでるようにも見えてくるから不思議である。


ちょうど昨年の今頃、私はとにかく疲れていた。
いくつもの重圧に四方八方から押し潰されそうになっていた。
こんなの間違っていると思いながらも自分で自分を止めることができず、また新たな荷物まで背負い込もうとしていた。

そんな時、世の中が一変した。

色んなことがストップして、私はやっと転がり落ちていく自分自身を止めることができたのだ。

そして私は書き始めた。
どこに発表する訳でもなく、誰に見せることもなく、何に訴えかけるつもりもない。
自分だけのために自分自身の心の中を。
誰に取り繕うことも、誤字脱字や文法も気にすることもなく、ちっとも纏まらない、オチもない文章を。

本当に苦しかったんだと思う。
その頃、何かを読んだか聞いたかして書いたと思われる一文。

「誤解を解かない勇気。
 言葉を尽くさない。

 うん。となった」

たとえそれがどんなに正しいことだとしても時には喉から出そうになる言葉を呑み込まなければならない時もある。

色んな胸の内をこの一年書き続けた。
次第に自分の心が整理されていくのを感じた。
最初のうちは邪念を打ち消すかのように日に何度も書いたこともあったけど、段々日が開くようになり、私の中で何かがひと段落したように思う。

シンプルでありたい。
余計なものを削ぎ落としていく作業はなかなか骨が折れたが、そうしていくうちに本当に大切にしたいものがハッキリと見えてきた気がする。

いつの間にか忘れてしまっていたあの日の初期衝動のようなものを思い出したのもちょうど一年前だった。
とにかく私は一度ありとあらゆるものを捨てた。
またまっさらなところから自分を作り直していきたいと思った。

そんな私がずっと閲覧のみだったnoteを自分も書いてみようと思ったのは、ただ単純にパソコンが新しくなったからというのが一番の理由なんだけど、そろそろ外に向けての言葉も紡げるような気がしてきたからだ。

この一年で沢山の大好きに出会ったし、再会もした。
伝えたいことが沢山湧いてきたし、書きたいことがいっぱいあるのだ。

何より、どこに発表するでもなく書き溜めたもの達が眠り続けたまま寂しげにしている。

書き始めると長くなってしまう私の文章を最後まで読んでくれる人がどれくらいいるかは分からないけど、とにかくやってみようと思う。

と言うことでnote、はじめます。

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「無口な夜に喉を詰まらせ 僕の壊れたハレルヤを」
        (〜柳原幼一郎/ハレルヤ〜)

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