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「書くことについて」

スティーヴン・キングの「書くことについて」という本がある。
その中でキングは「ストーリーというのは地中に埋もれた化石のように探し当てるべきものだ」と言っている。
「私はただ単になりゆきを見守りそれを書きとどめるだけだ」とも。
もちろん書き手はそれを掘り起こすための語彙であったり、文法であったりという道具を揃えなければならない。そして手持ちの道具でそれらをできる限り完全な形で掘り出す。何の道具を使いどのように掘り起こすのかが、その人のセンスなのかもしれない。

ある日何かに躓いて、その正体が何なのか気になって掘り起こしたいという衝動に駆られる。まるでスティーヴン・キングの「トミーノッカーズ」のようだと思った。

そしてもう一つ。
書斎のドアを閉める決意。
「ドアは外の世界を締め出し集中させてくれる」
集中を妨げるものはドアの中に入れないことだ。
また「音楽を聴くことはドアを閉めるのと同じ行為だ」とも言っている。「それは私を取り囲み、俗世間を締め出してくれる。書くときに世界を排除したいという思いは誰にだってあるはずだ」と。

ドアを閉め、あらゆる雑音を消し作品と自分だけの環境を作り出す。そして没頭する。なんて至福の時間。

勿論、その後ドアを開け完成へと向けてブラッシュアップしていく過程についても書かれている。

何度も読み直す私のバイブルのような本である。

そしてここからが本題。
私は物語を書くこと以上に詩を書くのが好きだ。中学生頃から人知れず割とコンスタントに書き続けているかもしれない。
詩は掘り起こすという作業とはまた違う感覚で書いている気がする。しいて言えば、絵を描くのと同じような感覚かもしれない。
物語が見えないものを掘り起こしていく作業だとしたら、詩は見えているものを描写していく作業。そんな感じである。

子供の頃からコツコツと揃えてきた私の中にある道具達は錆び付いていないだろうか。歪んだり、変色したりしていないだろうか。
そんなことを考えて不安になる時もある今日この頃。

これまで特に発表する場もなかったので、ただ書き溜めていただけだったのだけど、ここへきてやっと日の目を見る機会ができたみたい。

続けていればいいこともある。
それについてはまたいずれ。



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