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人生のボーナスタイム?

こんばんは。まきびしです。

前回のnoteへの反応がいつもより多くて、なんだか嬉しくなりました。
ありがとうございました。

さて、どこかのTV番組で最近やっていたとかで、昨日会社で雑談してる時に教えてもらったのですが、人間の寿命は生物学的にはせいぜい55年くらいらしい。
他の動物と違って、人間には医学という外的な力があるから80年やら100年やらと延ばしている(延ばせているとも言うかな)だけだそうな。

ということは、私の今とこれからの人生って、人間に生まれた今世のボーナスタイムか!(前世とか来世というものがあるのかはわかりませんが)

55年…その昔、定年は55歳で後はご隠居生活だったと聞く。生き物としては理にかなうというか、自然な流れかも。平均寿命も今より短かったし。
人材の流動性も、若い人の働き口も、ふん詰まり無くなって、世代の入れ替えもスムーズで良いのでは?
定年になったら安心して隠居。手持ち無沙汰だったらバイトくらいしてもいいけど…くらいにして、60歳以上は労働市場から引退し消費市場の住民にすれば、企業の人員の空きを若い世代に明け渡せないだろうか?

現代の私たちが55歳定年で、生活費に大きな不安が無かったら…やりたい放題じゃないですか?
今の感覚なら55歳で自由の身になれば、消費行動も積極的で日本経済ももうちょい動いて良さそうだけどな〜。

ここで話しをボーナスタイムに戻しまして…

定年≠失職=どうしよう⁉︎…で、定年後再雇用か、シルバー転職か、貯金を取り崩しながらでも夢に賭けるか…etcと頭を悩ませがちですが、同じ悩むなら「人生のボーナスタイム イベント企画」と脳内変換して考えた方がワクワクできそう。

旅行前って旅程や絶対外せない場所や食べ物を考えてワクワクするじゃないですか。アレと同じように、定年後の生活をボーナスタイムの大イベントであるかのように企画すれば良いんですよね。

真剣味が無い!不真面目な!人生ナメんな!現実逃避!と言う人もいるかもしれない。
でも単なる『タイトルの脳内変換』ですから、どういう方向に決めたって結局のところ定年という節目を迎えた後、自分がどこで何をして、何を守りながら、どんな風に、ひと月幾らで生活していくか…を決めることに変わりないので、しっかり現実を見て考えるし、不真面目も真面目もありませんよね。

ま、私個人としては、定年年齢を上げたり、年金支給年齢を上げたり、65歳やら更には70歳まで働かないと暮らしに不安を感じさせるような制度や風潮にチョロチョロ変えていく側の方がよっぽどナメてると思いますけど。(笑)

昨日この寿命55年の話しを聞いて「じゃあ、もう私もボーナスタイム中なのか〜」と思った瞬間に一気に気が楽になりました。

だったら楽しんだもん勝ちじゃん!って。
アリのようには働かず、自分基準で不自由を感じず心地良い程度に働き、人生最終章を楽しむキリギリスを目指そう!って。

しばらくご無沙汰で忘れかけていた、天性の「お気楽・極楽・グウタラ」気質がジワジワと発動してきました。
「おぉ、オマエ覚えていてくれたか!」と、私の中のグウタラ様がウォーミングアップを始めております。

気が重くなるようなことは、課題のタイトルをキラキラネーム(使い方が違う)に脳内変換すると意外とラク。
他人に脳内を見られるわけじゃないんだから、何とでも名付けて良い。
「病は気から」があるならば「嫌なことはネーミング変換から」です。

今回もとっ散らかった長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

ではまた。

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