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ポジティブ淋しいのススメ

淋しい。
日曜日、ふと思った。
それから今日まで4日間?覆われている。淋しさに。

一人暮らし。ひとりごはん。
4年間彼氏なし。
いい感じの人もいない。好きな人もいない。

うっ。並べてみただけで淋しさの塊。
きっと、世の中ではこの要素で”淋しい女”と記すのだろう。
私もきっと同じことをする。
でも、4年前から日曜までずっと、”淋しい”を忘れていた。嘘ではない。


◆◇◆
もともと彼氏がいないとだめな人だった。
それは、淋しいから。自分で自分の淋しさを埋められないから。
友達も少ない。なのに多くみられて戸惑う。
彼氏がいればそれだけで土日は埋まる。淋しくない。
だから、忙しい人が好きじゃなかった。
土日が一人になってしまう。自分より忙しい人をみることで自分の一人さが露呈してしまう。
余計に淋しくなる。
ひとりにならないために彼氏を作っていたようなものだ。

そんな自分が嫌だった。彼に依存・執着する自分。

別れた時”ひとりでも大丈夫な人になろう”と決めた。
ひとり映画
ひとり買い物
ひとりカフェ
ひとり吉牛
ひとりラーメン
ひとり飲み
ひとり旅行(国内・海外)
できるようになっていく内に”ひとり=淋しい”じゃないと知った。
ひとりの楽しさに気づいた。色んな出逢いが楽しかった。
予定をどんどん決められて自分の好きなことが好きな時にできる。
最高だっ!

むしろ、忙しかった。
ひとりでできることが多くて色んなことができるから。
”ひとり=淋しい”ではないということを知り、淋しいなんて思い出すことすらなかった。


◆◇◆
ついこの間、Hawaiiに初一人海外旅行をしてあることに気がついた。
ひとりが大好きなのに大嫌いなこと。
ひとりで冒険をして発見することの楽しさがあるのに誰かといて自分の気づかないことに気づける喜びが大きいこと。
その喜びがなによりも好きで楽しいもので、自分にとって価値のあることだと思っていること。

つまり、ひとりより2人でいることが好きだということ。

だからといって、ひとり=淋しいには戻らない。
ひとりでできることの楽しさも十分理解・体感しているから。
むしろ、以前の私が彼氏達にしていたような束縛・執着はしてくれるなとすら思っている。
ひとりの楽しさと2人でいれることの楽しさを知り、ようやく私は淋しさを理由に人を求めることがなくなったのだと思う。
大いなる成長である。4年もかけた甲斐があったと思う。

◆◇◆
なのに。なのに、だ。
日曜から淋しさに襲われている。
楽しいことをやろうとしてもイマイチ腰が重い。楽しめない。
やってみても集中できない。ずっともやもやしている。
冬のせいにしてしまおうかとも思ったし、それもあると思うけど、なんか違う。しっくりこない。


そして気づく。
”淋しい”ことを悪いことだと思っていた自分に。
ひとり=淋しいを乗り越えようと紛糾している4年の間に淋しいという感情を悪者にしてしまっていたのだ。
いや、違う。その前から。ひとりを悪としていた時から淋しいも悪にしていたのだ。
忘れていたのではない。頭を出そうとしたら力でねじ伏せてきたのだ。


日曜日、ドラマを観ていて4年ぶりに心から思った、
『彼氏が欲しい』という言葉と共に湧き出て止められなくなったのだ。

4年の間好きな人もいたし、結婚したいとも思っていた。
それは淋しいからで、淋しさを埋めるためで、でもそれをずっと否定してて。(ex.子供がほしいから〜みたいに)
でもHawaiiで気づいた、
「誰かと見る楽しさが私は大好きで、そのために大好きな人と一緒にずっといたいな」という想いを達成するには”誰か”がいないとだめで。
いない今、私は淋しい。

ひとりだから淋しいのではない。
自分の達成した目的があるのにそれができないから淋しいのだ。


◆◇◆
もともと、淋しいという感情は悪いものではない。
なんとなく悪いものにしてしまいがちなだけ。
だからこそ認める、受け入れることが辛い。
確かに4年前の私のように”ひとり=淋しい”は他人に依存・執着を生むもので、他人を自分の所有物にしようとする心理が働いてしまうからよくないと思う。
巷で言われる、「淋しいからを理由に彼氏がほしいというのはよくない」というのはこれのことだと思う。

でも、2人でいることが好きな私がいて、それとは反対に今ひとりでいる私は淋しいと感じる。
それはただの事実で悲観的に思うことでもなんでもない。
目的達成途中の現段階を表しているだけのこと。
なんてポジテイブな感情なんだろうか。
ポジティブ淋しいと名付けよう!そんな淋しいもあるんだ。

今日はすっきりよく寝られそう。
寒くて淋しいはあったかぁい毛布で解消で。
おやすみなさい。


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